昭和二十七年五月一日 垂録09 (8)

〔 質問者 〕釈迦の一代経のものは。

【 明主様 】因果経は天平時代の良いのがあります。あそこにありましたが、ずっと落ちるんです。あれなら私なんか買わないですね。天平の因果経はすばらしいものです。最初は二三〇行かあったんですが、みんな買いきれないからね。この春出たのを、いま経師屋で繋げてますがね。そうすると八十何行です。ですから日本では一番ですよ。久迩宮様の所に五四行あるんです。それから、金光庸夫……先の大臣が五十何行か持ってます。八十何行というのは、まず日本一ですから、みんな驚いてます。いま三行くらいのものでも、たいへんな取り合いですからね。掛物にしてね。三行の掛物で、吉川英治が非常に欲しがっているので、吉川英治にやるつもりだったが、道具屋の佐々木がぜひ売れと言われて、二二万円かで売っちゃったんです。それを吉川英治が知ったので、怒って道具屋が弱ってました。それで、なにか他の良いものがあって、やっとお詫びがかなったと言ってましたが、その絵がいま珍重されているんです。アメリカには一五行いっているんです。ところがアメリカでも非常に珍重して、それを日本に来て欲しがってたいへんです。これが一番高いです……値段としてはね。絵巻物というのはアメリカ人が馬鹿に好きなんですよ。あの中に『平治物語』というのがあるんですがね。巻物でね。これがボストンの博物館にある。それは非常に大事にして、日本人が行って……日本人に限らず、だれでも……見たいというときには、ふだんはガラスの上に布がかかっていて、見たいと申し込むと、布を取って、見ちゃうとまた布をかける。というのは、光線に当たると、いくらか色が褪めるというような心配からやるんですが、それほど向こうでは貴くしている。いま高いですよ。絵巻物というのはね。

 

〔 質問者 〕芸術大学にありましたのは、ちょっと落ち、他のは良いように。

【 明主様 】一つは鎌倉時代、もう一つはよく判らないんですが、藤原か足利の初期だろうと思いますが、それはまた悪いです。この間博物館にありましたが、見られたものじゃない。天平のはまるっきり違いますからね。天平のほうが色が良いんです。緑青なんか萌えるようですね。いま画いたようですね。かえってその後に画いたものが古いように見えます。不思議ですね。今度美術館ができれば並べますから、見れば判りますがね。

 

〔 質問者 〕あの当時のは作者の名前が出ておりませんが。

【 明主様 】巻物というのは作者の名前は出さないものです。だいたい仏に関したものは、作者の名前はほとんど出さないものですよ。あの当時作者として出ているのは、巨勢金岡ですね。それから兆殿司ですね。去年京都に行ったときにね。それから恵心僧都……そんなものですね。

 

〔 質問者 〕宮中にいろいろな役目をもった係がありましたので、その関係で隠すのではないかと。

【 明主様 】そうじゃないんです。書かないことになっているんですね。つまり、むしろ仏様を尊敬した意味じゃないかと思いますね。すべて、良いのが作者の名前がないですね。弘法大師の彫刻でも、弘法作なんて書いてないですからね。名前を書くのは、画家とか……そういった美術家とか、そういう意味になりますからね。今度行ったとき弘法大師の作がチョイチョイありましたね。

 

〔 質問者 〕弘法大師と称するんじゃないですか。

【 明主様 】判らないですね。怪しいですよ。少し上手過ぎたね……この間あったのはね。そうとうの彫刻師がやっている。行基菩薩も彫刻はやってますね。日光の子育観音なんて、行基菩薩です。しかし、支那の古い時代の画家というのは、ほとんど坊さんですよ。宋時代のね。この間の博物館のは……もっとも奈良のどこのお寺でも仏画はないんです。仏画はいくらもなかったでしょう。たしか曼陀羅があったかな。曼陀羅は写真があったね。

 

〔 質問者 〕海外に出てしまったのでございましょうか。

【 明主様 】海外はあまりいかないですが、日本ですね。日本の道具屋ですね。それから、火事で焼けたりしたでしょう。道具屋はそうとう持ってますよ。私も先に買いましたがね。

 

〔 質問者 〕仏画は高野山が多くございます。

【 明主様 】高野山のものでも、私の所に二、三来てますがね。あそこはなかなかありますよ。ずいぶん弘法大師のものを売りましたね。一遍売り立てがあったんです。図録にみんなありますがね。