昭和二十七年五月一日 垂録09 (3)

【 明主様 】私は昔小間物屋をやっている時分に……これは私の本に書いてあるけれども、先に、装飾物……婦人の装飾に使うものだが「朝日ダイヤ」というのを発明した。ダイヤみたいにピカピカ光るんです。いまでもものによるとできてます。それで世界中の……一〇カ国の専売特許をとったんです。私はそのころ発明が好きで、いろいろ特許をとりました。マークは、月になっていて、半分星が出て、後光が射している。そういうマークでした。私はそのときに、ちょっと大きな馬鹿馬鹿しい意匠なんで、なにか……自分は世界的のことをするとか、世界に名前が知れるとか、なにかそういうような気持ちがしたものですね。一〇カ国の専売特許……十はやはり結びだからね。あれがやはり仕事の、一つの最初のなにになっている。

 

〔 質問者 〕「朝日ダイヤ」で一〇カ国ですから。

【 明主様 】そうです。

 

〔 質問者 〕原料はなんでございましょうか。

【 明主様 】鏡です。鏡を薄くして割るんです。割って、いくらかふくれるようにすると、ピカピカ光るようになるんです。昔……鎌倉時代にも貝を割ったのがあります。いろいろありますね。それを、貝でなく鏡にしたらよけい光るだろうとやってみたら良いんです。それで儲けましたよ。その当時でも一〇万円くらい儲かったでしょうね。私が三十いくつのときだから、三、四十年前ですね。ですから小間物屋でもなんでも、やっぱり私の所が成功者として一番になっていたです。だから岡田式、岡田式と、その時分にね。そのころにもいろいろありましたがね。私はなにをやっても、ぜんぜん……他を追い抜いちゃうんですね。大本教に入った時分にもいろんなことが、どんどん私が一番になっちゃってね。だから大本のほうで脅威を感じてきたんですね。それで、非常に私を圧迫してきた。美術品のいろんなものも、たいていのことは商売人より分かったが、仏教だけに関するものが、まだすっかり分からなかった。今度奈良に行って、今度すっかり分かりましたからね。

「『御垂示録』九号、講話篇第六巻」 昭和27年05月01日