昭和二十七年四月二十日 『御教え集』八号(9)

三月二四日

 今度が、春の大祭が二回目ですが、だんだん発展してきまして、来年のこの大祭は、とても入りきれないだろうと思いますから、少し拡げるつもりなんです。こっち(御神前)に向かい左側の廊下をもう六尺くらい拡げて、それだけ畳も拡げるわけですね。それから、そこの所がなかなか規則がやかましいので、畳を敷くことができないんですよ。つまり大勢そこに人が乗るということが危険という意味でね。面倒ですが、なにか工夫して、やるつもりですがね。その次はメシヤ会館ができますからね。もう一冬だけ、少し拡げなくちゃ無理だろうと思いますね。そんなつもりですがね。

 たいてい気のついた話はふだんしてますからね。取り立てて、今日お話するということもないけれども、まあ……全体的にお話するつもりです。いまのところはそんなことに……私が担当者のような話ですが、将来いろいろな科目に分けて……宣伝部長とか出版部長とか造営部長とか……そういう人たちの担当事項について話し合うようにする。で、私は本当の宗教に関係したことだけをお話する。そういうことに、将来なるつもりですがね。いまのところはそこまでいっていませんから、私がなんでも屋で話するんですがね。

 これからやる仕事は『結核信仰療法』という本を、もう原稿ができましたからね。これから、印刷にかかるわけなんです。出版は二、三カ月先になるだろうと思います。これは、勿論あらゆる方面……各大臣、国会議員、大病院、結核療養所、新聞社……そういった枢要な方面に配ろうと思っています。それから英訳して世界の、そういった大学あるいは病院、著名な医者というように……それからノーベル賞審査会ですね。そこにも出すつもりですがね。この間ある博士に聞いたところが、だれでも出せるんだそうですね。別に資格もなにもいらない。いくらか手続きはいるそうですがね。これは世界の医学界に対する原子爆弾ですね。びっくりするだろうと思ってます。しかし、日本はどうか知らないが、外国の学者としたら見逃すことはないと思うんですね。これは、理論科学的ですね。科学的に書いてあるんですからね。あまり宗教的でなく、学者が見ても納得がいくように書いたつもりですからね。これは、見てそれっきりになるというようなことはないつもりですね。

 それから農業の特集号によって、だいぶ研究しようというような人が、ボツボツ各方面にできたらしい。なんでも、事務所のほうにもチョイチョイそういった問い合わせが来ているそうで、これはちょっと試そうと思ったって一年二年という年数がかかりますから、簡単にいかないが、とにかくあれを見た人は、それじゃ一つ、試験的に、たとえ一畝でもやってみようという人は、そうとう出るだろうと思います。そうすれば、それで解りますからね。まあ、なんとなく……全国的に、解る人ができてくるだろうと思います。そこにもっていって、信者のほうの自然栽培は一年一年成績が上がりますからね。そこで、このほうも年々増やしつつ今年から全部自然農法にする、という人たちもチョイチョイありますからね。また、それを見た近隣の農民やなにかが、じや俺もやってみよう。いままでけなしたり攻撃したりしていた人たちが首をひねって、自分もやってみようというのが、各地に出てきたようです。どうせこういうことは、そう急激にはいかないですが、しかし漸進的に力強く発展していくと思うんですね。これで、だんだん解ったら、日本はたいした国になるですよ。

 それから、いま一番力を入れてやっているのは、箱根と熱海の地上天国ですがね。箱根のほうは、だいたいこの夏までに神仙郷は完成するつもりなんです。で、美術館とあとは公園に面したほうの広い所を平らにして、平らに少し傾斜しているくらいの具合で……この間も行ってみました……二、三日前ですがね。具合は良いです。なんでも、植木屋に聞いてみると、モミジを三〇〇本とか買ったそうです。みんな割合に大きいものです。なるべく低い、枝の張ったのと、注文しておきましたからね。で、必ず紅葉するものと言ってあります。紅葉が全部になったら、定めし壮観だろうと思います。先のモミジなんかを入れると三五〇本にはなるだろうと思います。やっぱり三六〇本になるだろうと思います。で、あそこの流れも、ずっと上のほうまで石組をして、渓流のように見せる。この渓流は、前の岩窟のと違って、柔らかい穏やかな形をとろうと思ってますがね。そうして、美術館の横手のほうも、流れの両脇にモミジを植えようと思っている。それと、美術館ができれば、まず完全なんですね。それから日光殿も、いま拡張工事をしてます。これは思ったより拡く取れるんですね。いままでの約倍くらいですね。ですから二〇〇〇人はゆうに入れます。あるいは詰めればもっと入れますね。大工なんか三〇〇〇人は入ると言ってますが、そいつはちょっと無理でしょうが、二千数百は入ります。庭のほうまで立てばね。まあ、当分は大丈夫だろうと思います。それで箱根のほうが一段落つくと、ケーブルを通り越した先に……これは知っている人もあるでしょうが、左側に大きな柔らかい、ホーロクを伏せたような山があるんです。そこを三、四年前に手に入れてあるんです。ちょうどケーブルから半町くらいですから、非常に便利です。その山に将来本山を作るつもりなんです。いまの神仙郷は本山じゃないんで、地上天国の型なんです。模型なんです。それまで本山のような意味で、日光殿なんか使ってやってますが、本当はあそこは地上天国の模型という意味なんです。で、いま言う山は、名前を「光明台」とつけますからね。

 光明台はだいたい一万坪あるんです。で、そこに宗教的の建物を作るんですがね。これは全部椅子席にして一万人入るつもりですからね。無論鉄筋コンクリートで、だいたい形やそういうものはできてますがね。できているといって、頭の中にできてます。頭の中というのは始末が悪いので、見せることができない。これは日本一だろうと思います。いままで一番拡いのは、浅草の国際劇場ですがね。あれは五〇〇〇人なんです。あれが一番拡いんですがね。それから名古屋のスポーツ会館といったようなものは一万人くらい入りますが、これは競技を見るためで、ふつう言う会館とは違いますから、今度できる……光明殿という名前になりますが、光明殿は日本一ですね。また、山が非常に具合が良いんですよ。これは神様が仕度してあるんだから、あたりまえですがね。それで、強羅の中央になっていてね。どっちかと言うと神仙郷は中央じゃないんです。光明台が強羅の中央になるんです。それから、高さもちょうど良いし、周囲も良いですね。今度行けば解りますが、ほとんど神秘的なものですね。そうして両側に谷があるんです。谷と谷の間をふっくらとして、これはわけないんです。岩がないからね。後ろのほうが杉林で、杉の森で囲われている。そこに白亜の殿堂を造ると、実に美観は満点だと思いますね。で、あそこに行くのに、ちょうどケーブルが邪魔になるわけですね。もっとも、あのケーブルはずっと頂上まで行っていて、その間に道がないんですよ。ケーブルの上を越さなければならないですからね。それじゃ危なくて、第一自動車も通れないですからね。これは会社がやるべきだけれども、会社がやっぱり、金がないので、そこまでは手が届かない。そこで今度、私のほうの神仙郷から、光明台に行くのに、ケーブルの下をやろうと思う。まあトンネルですね。それをやろうと思ったところが、割合にわけなくいくんです。というのは、ケーブルの向こう側は非常に低くなっているんですね。私のほうも低くなってケーブルは高くなってます。その下を潜るんだから、割合に簡単なんです。そこにもっていって、今度美術館ができると外人なんかもたくさん来る。自動車のそうとう広い置き場が必要なんですよ。どうしても、二、三十台くらいのを用意しておかなければならないですね。その土地が、いまの神仙郷と公園と渋井さんの所と前に『栄光』新聞の取り扱う所ですね。三尋木さんがいた所ですね、その四つ角になっている、その公園のほうになっている角は低い地所で、あいている。会社の地所ですが、私のほうで会社に寄付しろと言ったところが、そういうわけにいかないのでお貸しするということになった。ところがあそこはかなり低いですから、どうしても埋めなければならない。ちょうど良いことに、ヒョッコリとトンネルの土がね。やっぱり神様は抜け目なく利用する。そこは公園の一角になるんですがね。公園なんかも、まだまだ拡げれば良いんですがね。やっぱり会社の経済上とかで、そういかないですが、今度、こっちが利用できるんです。

 話は違うが、強羅の公園も私のほうでやらなければならないことになるですね。なにしろ、ご覧の通り汚い……家で言えば、あき寺みたいなものですね。荒れ放題というわけですね。いずれ公園も、ごく西洋風の、ガーデン的な公園にしてやろうと思ってますがね。神仙郷のほうがすっかり完成すると……、公園も手を入れれば、なかなか良いんですよ。噴水なんかもちゃんとすれば、良い噴水になりますよ。最初来たときは、水なんかも出て、良かったですよね。それから、あき地なんかもありますから、それらの整地をして、花なんかもたくさん植えるんです。だいたい美術館のほうなんかは、ずいぶん人が来ますからね。だから少し待つのは一時間くらい待つことになりますね。それで、待ってる間公園を散歩さ触るんですね。特に強羅に遊びに来た人が、公園を見て美術館を見るというと、とにかく旅客が当てができますからね。いまのところは強羅に行っても、なにも見る所がないですからね。そうなると、強羅ばかりでなく、箱根に来た人はみんな見に行きますよ。とにかく箱根の一大楽園としての中心を作りたいと思ってます。これは、土台ができているので、別に骨が折れることがないんです。

 箱根のほうはだいたい、いま言ったような計画でだんだん進んで行くつもりですがね。で、いまの一万坪の山ですね。そこから往来を距ててずっと下のほうに、五〇〇〇坪の地所を買ってありますが、ここをお祭りとかなんとかいうときに、信者さんの宿泊所ですね……そういうものを作ろうと思ってます。これは、県別にするか会別にするかして、何軒も作るつもりです。天理教でやってますが、私は行ったわけじゃないが、話によると非常に具合が良いらしいですね。一々宿屋に泊まるんじゃ、金もかかるし、ふつう世間の人と一緒に泊まることになりますから、どうもおもしろくないんです。信者は信者だけの、そういった宿泊所でなければおもしろくないんです。ちゃんとそういったように、神様がいろんな土地やなにか、必要だけは時期が来ると、ちゃんと手に入ってくるんですよ。だから割合に楽ですね。こっちで気がつかないことが良くあるんですね。つまりどこそこに売り物がある……売りたい。ははあ、そんな所にこっちは別に考えてもいないのに、そうしてみると神様のほうに入り用があるのかと思って考えてみると、なるほどそういう方面に拡げて、そういうふうにしろという意味だと分かるんです。だから、実におもしろいんですね。熱海なんかもそうですね。先にはあんな大きな規模じゃなかったんですがね。もっとずっと小さい予定だったんです。ですから、会館なんかも、美術館が建つ所にやるべく、あそこに石垣やなにか作ったんです。そうすると、あのときの台風で山の縁のほうがくずれちゃったんです。石垣といったところで、天然石を組んだ所ですがね。それで私は、ははあ、ここに会館を建てちゃいけないんだなと、これは神様のお示しだと思いましたからね。いろいろその辺を見た結果、いまの所ですね。晴々台ですね。あそこだということになって、やってみると、先の所よりずっと拡いんですからね。ははあ、なるほど、神様はもっと大きくやられるというので、いまの所をやったんですがね。そのときは美術館という頭がなかったですが、だんだん進んで来ると、くずれた所は、あそこは美術館が良いと言う、そんなような具合に、神様が計画してあるんですから、ちょっと……こっちのほうで計画したことが、違えさせられるということがあるんです。けれども無駄なことはない。やっぱり美術館の敷地になったんですからね。こっちがやっていることが神の大方針と違うことがあるんですね。神様のほうは無駄がないんです。実に、そういうところはうまいんですよ。あたりまえなんですがね。実に神様のやるのはうまいんですよ。だから失敗はないんです。人間の目で失敗のように見えますが、失敗じゃないんです。なんとなれば、失敗しなければうまくいかないところがあるんです。それで失敗させられるんです。長い目で見ていれば失敗はないんです。あんな無駄なと思うが、時が経つと、必要な役であったということが分かるんですね。
 それで、今度熱海のほうを少し話しますけれども、これはどなたもチョイチョイ見られるでしょうが、ツツジ山ですね。そういう所も最初は小さくするつもりだったのが、どうもおもしろくないので、だんだん大きくした。山の形状やなにかも、植木屋やなにかも、あんなものをこしらえたことがないからね。うっかりすると、自分の思い通りにすると、私の考えに違うことがある。で、私が直させて山の高さ、ふくらみ、周囲ですね。それを直させたり変えたりしてやっていたところが、やっと形だけはできあがりましたがね。最初は二〇〇〇本植えるつもりだったが、二〇〇〇本じゃとても足りない。それで、六〇〇本植えた。ところがそれでも足りない。今度は一〇〇〇本買いましたがね。三六〇〇本ですがね。そうするとミロクになるんですよ。一山にツツジを三六〇〇本なんていうのは、断然日本一ですね。他にありゃしないですね。これは二、三年経つと、すっかり土が見えなくなりますからね。それから花が咲いたらすばらしいものですね。日本中の一つの評判になりますね。そうしてその上に展望台も造りますけれどもね。展望台は最初半円形にするつもりだったんですが、土地が最初の予定より拡がりましたから、半円形より、小判を切ったような形になります。展望台が拡くなければね。そうして、硝子も曲線硝子……いま硝子を曲線にするのは、わけなくできるんですからね。ですから、曲線硝子にして、細い金で継ぎ合わせてやるつもりです。ニッケルのような……ジュラルミンですね。ああいうもので、繋ごうと思う。これもずいぶんいろいろ研究したんですが、最初……もし風のために割れたりするといけないと言うんで、幅三尺のつもりでしたが、考えてみると、風がいくら当たっても、滑っちゃうと思うんです。平たいからね。六尺くらいにするつもりです。硝子工業というのは非常に発達して、いま硝子は長さ三〇間までできるんですからね。これは、最近ロンドンのデパートで、なんでも三〇間……じやないが、十何間という一枚硝子でやったデパートのショーウインドウができたそうですがね。そんなような具合で硝子でして、天井は真っ平らで、下を赤い絨毯で敷きつめちゃおうと思う。まわりが青い所に赤いのでね。そこから二、三間離れて……線をコンクリートで作って……四季の草花を作ろうと思う。それが展望台です。その四季の草花の先にツツジがいくんです。ツツジも低く刈り込ませる。そうして、会館も、だいたいこの間技師に図面を引かせたところが、私の言った通り引かないので、どうもああいった商売人は、素人がなに言うかという具合で、決してこっちの言う通りやらないものですよ。それがあたりまえでしょうがね。素人というのが変わっているのかもしれないがね。で、私が……向こうが商売人というが、こっちも商売人だと言った。私が説明しても分からないんですよ。終いに先生のほうで画いてくださいませんかと言う。じゃよろしいというので、他の製図屋を呼んで画かせた。製図屋はお気に入るまで何回でもやりますと言うので、思うようにできると思いますがね。ところが建築屋のほうでは、いまほうぼうでやっているのしか頭がないんですね。そんなわけで、間口二一間、奥行三〇間の六三〇坪ですがね。ちょうど……椅子で計ってみると二〇〇〇人入って、そのまわりに立たせると一〇〇〇人入って、三〇〇〇人は入りますね。それからお祭りで多いときは、まわりの敲の所……そこにぐるっと立たせると、二〇〇〇人は立ちますから、五〇〇〇人は収容できますね。その代わり外側は六尺幅にして、前の方は三間ですがね。横のほうは一間のコンクリートの廊下……回廊ですね。外側の廊下です。そこに、雨でも降ったときに濡れるから、三尺出した。つまり九尺の廂を作るつもりですがね。硝子の廂です。硝子が結局五一間です。網硝子ですね。真ん中の玄関のほうは、今度図面ができたら良く解りますがね。ただ話だけじゃ、ちょっと解らない。ですから、雨が降っても、そのまわりは濡れないようになりますからね。鉄の丸い細い柱で、それを支えようと思ってね。中なんかもなかなか難しいんですよ。というのは、劇場じゃない。舞台を作ると劇場らしくなる。宗教的なものですからね。そうかといって、キリストの教会堂のようでもおもしろくない。勿論、寺院ではないしね。そこで私は古い所を取って、ごく新しくしようと思ってますからね。ですから、新しい形式を作るようなものですからね。中の天井なんかもいろいろ考えて、だいたい案はできましたがね。こっちは余興の舞台にも使うんですからね。舞台であり、神床ですね。ふだんは拝むんですね。それがすむと舞台になるんですからね。そこのところの調和が、よほどうまくやらなければならない。そうかというと、下のほうはオーケストラがやる。オーケストラは六〇人用意しますけれどもね。歌はヘンデルの「救世主」をやるつもりですからね。あれは、メシヤ教のためにヘンデルが作ってあったんです。ですから、あれは「救世主」と言うんですね。ですから、こっちがあれを使わなければいけないんですよ。ですからいまあれをやっているのは、こっちで貸してあるようなものです。まあ、神様が稽古させてあるんですね。だいたいそんなような具合で、その展望台の後ろにすぐくっついて、いろいろな部屋を作るつもりで、それはいろんな……みんなの会議室だとか、いろいろ……お祭りのときの仕度部屋だとか、余興のときの芸能人の仕度する所とか作って、二階に小さい展望台を造る。お供えみたいになるですね。そこは、私が行ったときの休憩所になる。そこから会館までトンネルになる。外からぜんぜん見えないで行ける。そうすれば、信者さんと一緒に行かないことになるし、天気の悪いときでも平気ですしね。約四〇間以上ですね。あの地形がまたうまくできているんですよ。とても……やっぱり神様ですね。巧妙にちゃんと用意してあるんですよ。まだ、いろいろな話はあります。美術館の話もしたいが、時間があまりないですから、このくらいにしておきますが、というのは、お祭り中は浄霊はしないつもりだったんですが、昨日ぜひしてもらいたいと、当てにしている人がたくさんあるというので、じゃしかたがないので……どうも頼まれれば嫌ということは言えない性分ですからね。やっぱり、神様の慈悲ということもありますし、江戸っ子の義侠心と言うか。そんなものでね。ですから、これから浄霊しますからね。

「岡田茂吉全集 講話篇 第七巻 昭和二七年(続) 御教え集 『御教え集』八号」 昭和27年04月20日