昭和二十七年四月二十日 『御教え集』八号(1)

三月五日

御伺い Ⅰ・N(二七歳)。昭和一八年中学にて体格検査の結果肋膜を発見、一ヵ年休学療養いたし、二〇年応召し、軍務中発病し、部隊内にて静養。終戦後は自宅にて療養いたしました。二二年第一健康相談所にて気胸不能と言われ、翌月右胸郭整形手術にて、肋骨八本切断。二四年左充填手術をし、樹脂球一五個充填。二五年マイシン四〇瓶注射(衰弱したため)し、二六年腸結核とのことにマイシン一〇瓶注射し、以後吸入器、アストールを用い、マイシン二〇瓶吸薬す。いままでに使用したマイシンは七〇瓶でございます。樹脂充填後約半年ごろより局部に微疼を感じ、水分が生じたためとのことに、パス、チビオンを服薬療養いたしました。充填部踵状で、その後空洞に豆粒大の穿孔を生じ、該部より出膿、爾来連続して出膿、現在に至っております。御浄霊をいただきましてより、樹脂球二〇個全部脱出いたしました。その後孔は締まり血膿が少し出ております。淡黄色の痰は少量となっております。充填球脱出後は気分軽快となり、尿は濁りが減り、透明となりました。また食欲も旺盛になりました。以上のような状態でございますが、御浄霊の重点御垂示お願い申し上げます。

御垂示 樹脂……プラスチックの玉ですね。マイシン七〇本……ずいぶん金がかかったですね。脱出……これは結構でしたね。二〇個……結構ですね。この人はお医者で作ってもらったんだからね。最初からうっちゃらかしておけば、とうに治っちゃった。一生懸命に、いろんなことで病気保存と病気増加法をやっていた。だから、これは薬毒ですからね。いままで入れた薬を、できるだけ早く外に出してしまう。そうすると治るんです。しかし、この人は結果が良いですね。治りますよ。割合に早く治りますね。疾が出るのは結構ですね。血痰が出ればなお結構です。ですから浄霊は、自覚症状がいくらかある所ですね。そこを浄霊すれば良いんですからね。頸から肩ですね。それから胸のまわり……そういう所を触って、熱のある所、そこに薬毒があるんだから、そこを浄霊すれば順調に治りますよ。それから肺の空洞……玉を入れた所ですね。そこもだんだん埋まってきますから……だんだんできてきますから、少しも心配ない。

御伺い M・H(八歳)。二六年九月、三尺くらいのカボチャ棚より落ち、痛がりましたが歩行はできました。その後いたずらをいたしましたので、左の大腿部を二、三回打ちましたところ、それより床に就き歩行不自由になりました。医者には神経麻痺と言われました。大小便をいたす気持ちがないために、尿道にゴム管を入れて出しておりました。御浄霊は祖父より、発病二、三日後よりいただいております。母親が入信のお願いをいたしますと翌日よりは、寝ていたしますと、大小便をするようになりましたので、ゴム管は止めました。他の医者の手当ては受けておりません。接骨医は、骨に異状はないと申します。背中、腹部にいくぶん感覚が出てまいりました。一〇日ほどして尾?骨のすぐ上に床擦れができ、孔があき毎日多量に膿が出ております。中心の孔は親指が入る程度で、骨が見えるくらいに深く、周囲は縦二寸、横一寸くらいで、膿が出ております。食欲はあり、たいへん元気でございます。光明如来様、御屏風観音様は御奉斎させていただいております。霊的に関係がございましょうか。御浄霊の重点は、どこをいたしましたらよろしいでしょうか。両足は元の通りになりましょうか。

御垂示 神経麻痺……病名については滑稽なんでね。歩けないから神経麻痺に決まっている。なんの神経麻痺とか、どこの原因という名をつけてくれれば結構なんですが、外部に現われた症状なんです。それで、漢字を使ったりね。頭が痛いというのを、頭痛とかね。その簡単な病名をつけてもらいたいために、ずいぶん病院に通うのがありますよ。中には、病名だけつけてもらいたいと言うのがいる。よく田舎の人なんかで、早く帰りたいんだが、せめて病名をつけてもらって、それから帰りたいというのがよくあります。この子は脊髄カリエスがあるんですね。で、腿を打ったときカリエスの毒が、だいぶ腰に来ていたので、刺激でそこに寄ってきた。それで、歩き悪くなった。腰を打ったためじゃありませんよ。これは、この人の原因は違いますよ。もし、腰を打ったためだとすれば、そのときから痛がらなければならないですね。そうじゃない。軽いカリエスのなにがあったんです。孔があいて膿が出るんだから結構ですね。これは治りますよ。その代わり、だいぶ長くかかるでしょう。浄霊の箇所は膿が出る所、孔があいて膿が出てくるんだから、そこを浄霊すれば良い。それから、腿の押して痛い所とか、熱のある所ですね。そこは膿が溜まっているんだかち、そこを浄霊する。それだけでだんだん治ってきます。

御伺い Ⅰ・T(九歳)。赤ん坊のとき、泣いて二、三回引きつけ、少し歩くようになったとき縁側より落ち左大腿骨を脱臼し接骨医にて全治したようでしたが、爪先でチョコチョコ歩くために、すぐ転びました。二二年より御浄霊をいただき、現在は右へ右へと斜めに歩きます。腰も手も後ろのほうに出しながら歩きます。子供の歩き始めのような状態でございます。二四年、光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させていただきました。祖母のお婆さんの兄弟で、男子(年齢不明)文久元年殺され、川へ石碑の重しをして投げ込まれた人があります。位牌は家にお祀りしてあります。祖母の兄は六歳のとき友達に後ろから押され、水車に挟まれ死亡いたしました。これも家にお祀りいたしております。これは霊的でございましょうか。御浄霊の重点を御垂示お願い申し上げます。

御垂示 これは霊的ですよ。一種の癲癇ですね。それで、歩き方が変なんですね。これも、その霊ですね。水車に……これらしいな。水車のほうですね。死に方の具合がちょっと違うな。これは土左衛門だから、土左衛門になって死んだんだから、やっぱり癲癇が、水ふくやつですね。水車……これらしいですね。ですから、これは前頭部の中を良く浄霊するんです。そうして気長にすれば治るんですがね。しかし、そうとう長くかかります。まだ数年かかるでしょうね。そうして光明如来様をお祀りしてある部屋に寝かせるんです。それから御讃歌とか祝詞を本人が聞くように……要するに耳に入るようにしてやる。これは何宗旨ですか。水車に挟まれたのが祀られたのは。

御伺い 宗旨は判りかねます。

御垂示 仏教のほうでしょう。

御伺い さようでございます。

御垂示 祀ってあるんでしょう。

御伺い さようでございます。

御垂示 いま言ったようにしてやれば、少しずつ良くなります。

御伺い 教師O・Bの妻N(昨年一一月三〇日帰幽)。肩、腎臓が固くありましたが、寝ることはなく、平常は他の人と同様に御浄霊はいただきませんでした。胃部と下腹が痛いと言い、御浄霊でその都度楽にさせていただきました。六日目より下腹の痛みが強くなり、御浄霊中胃部と下腹が交互に痛み、最後に胃部の痛みが止まってより、チョコレート色のヌラヌラしたものを洗面器に三分の一くらい出しました。一時間に一〇回くらい出しました。下腹は痛みませんが、重苦しいと申し、右下腹に直径四寸くらいの丸い固いものがあり、三カ月前よりだんだん大きくなり、痛んだと申します。右下腹の痛みがだんだん楽になり、全身がだるいと申しながら翌朝帰幽いたしました。死後、右下腹の両手先が薄黒くなりました。右御浄化につき御教示お願い申し上げます。

御垂示 チョコレート色というのは血の古いのですからね。よく吐くものですがね。この人は胃の下のほうにオデキができたんです。オデキができて、そこから始終血が少しずつ出ていたんですね。出ていたのが、だんだん溜まってきた。それが下腹のほうに行って固まりになる。それから、胃のほうのは嘔吐したんですがね。それで出たんですがね。このくらいで死ぬわけがないんですがね。

 これは注意しなければいけないですね。だれでもそうですがね。肩の固い人は早死になんです。ふだん丈夫なようでいてパッと死ぬんです。だから、人間は肩が固いのは安心できない。で、この人はふつうの病気で死んだんじゃないんです。これは霊的にわけがあるんですね。これはある時期に分かりますよ。なんで死んだということがね。いまはちょっと言うわけにいかないがね。何年か経つうちに分かるときがあります。これは、神様のほうにわけがあるんです。

 ですから、ふだん健康であっても、浄霊して肩を柔らかくしておくということは肝腎ですよ。だから、病人でも肩の固い人は結果が悪い。肩の柔らかい人は、ずいぶん助かります。この、肩の固い柔らかいは、非常に関係があるんですね。肩の柔らかい人は、どこかしらに強い所があるね。

御伺い K・M(二八歳)。二〇歳にて結婚し、二一歳で流産(三ヵ月)し、以後続けて三回流産し、最後の流産のときは非常に難産で、熱が高く頭も重いという症状が長く続き、医療にて注射や電気をかけましたが効なく、衰弱を増し、地方で頼む御祈祷をいたし、そのうちに精神異常となり、だんだん重くなり、そのころより医療を止め、祈祷してもらいましたところ、氏神様のお稲荷さんの場所が悪いから、祀り替えしたほうが良いと言われ、さっそく神主さんに頼んでお祀りしましたが効果なく、他の人に見てもらいますと、お稲荷さんを移転したのが悪いと言われ、元の場所(家の裏)にお戻しいたしました。二四年一月、お道を聞き、御浄霊をいただきましたが、当時は本人は御浄霊を喜ばず、始めると立ち上がったりいたしました。昨年一〇月、光明如来様を御奉斎させていただき、その後少しずつ良くなり素直にいただくようになりました。食事をいたしますのに、少しずつ口に入れ、茶碗に出したり、口に入れたりしております。蒲団の上でもかまわずに痰を吐きましたが、だいぶ良くしていただきました。御浄霊は前頭部、後頭部、延髄部、腎臓部をいたしております。これはいかなる霊でございましょうか。御浄霊の急所御教示のほどお願い申し上げます。

御垂示 これは、無論決まってますよ。狐ですがね。そう悪性の狐じゃないです。だから、割合に順調に治りますね。注射も医療も、たいしたことはない。で、急所はいまやっている前頭部、後頭部、延髄部、腎臓部……これで良いですよ。やっぱり、これもそうとう長くかかりますから、気長にやっているうちに、だんだん良くなってくる。それから御神書、御讃歌……そういうものをできるだけ聞かしてやると良い。そうすると早く治ります。狐が改心するか、あるいは出て行くか、どっちかになりますからね。

御伺い K・S(四三歳)。一五年間職業軍人で過ごし、健康でございましたが、昨年一〇月ごろより食欲減退、衰弱にて医診を受けましたが、ますます悪化し、某病院で胃痛と言われましたが、貧血はなはだしく手術不可能で、輸血、リンゲル、ブドウ糖などの注射をいたしておりましたところ、妻の実家よりお道のお話をいただき、一週間で退院し御浄霊をいただいております。五、六日はたいへん楽になりましたが、その後しだいに食欲減退し、頭痛、耳鳴り、コーヒー色の液を嘔吐し、一時はそうとう弱りましたが、御屏風観音様を御奉斎、また御守り様を拝受させていただきましてより、だいぶ楽にさせていただきました。なお、昭和一三年ごろ妻が信仰していた龍神を床の間に祀ってありますが、いかが処分いたしましたらよろしいでしょうか。この龍神との関係がございましょうか。御浄霊の箇所御教示のほどお願い申し上げます。

御垂示 これは、光明如来様をお祀りしなければいけませんね。そうして、龍神はお祀りしたお掛軸の前に祀れば良いんです。そうして、龍神の由来ですね。どこから御神体をいただいたのか、あるいはなぜ御神体をお祀りしたかということによって、処分の仕方が違いますから、この次にその意味を書いてきたら良いでしょう。症状は別に龍神に関係ないじゃないですか。しかし、この奥さんが龍神を信仰したというのは、どういうわけで信仰したんですか。それを聞いてご覧なさい。この病気は龍神に関係ありませんよ。まだ、光明如来様はお祀りしないでしょう。

御伺い まだでございます。

御垂示 光明如来様をお祀りするとして、龍神によって扱い方が非常に違いますから、それを今度知らせると良い。やっぱり薬毒ですよ。おまけに職業軍人なんて、いくども注射をうたれてますからね。これ、気長にやれば治りますよ。やっぱりいろいろな変化がありますからね。食欲が減ったりね。

御伺い T・H(四歳)。生後八カ月目のころ急に小児麻痺のようになり、特に足がクタクタになりました。不思議に思い近所の人に聞きまして、お道を教えられ、御浄霊をいただき一家全部入信させていただき、光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させていただきました。だいぶ快方に向かいましたが、歩行はできません。祖母は心臓麻痺で急死しております。また家は、昔、六部(行脚僧)を殺した場所に建てたという話もございます。このことと霊的関係がございましょうか。御浄霊の箇所御教示お願い申し上げます。

御垂示 これは龍神が憑いたんですよ。クタクタに……これは霊が憑ったんですがね。とにかく龍神には違いないですがね。ただ、龍神が……六部を……これじゃないな。心臓麻痺……これでもないな。他の龍神ですがね。龍神が憑くと、足がクタクタになる。これは割に治るものですよ。やっぱりできるだけ御神書や御讃歌、祝詞……そういうものを聞かせるようにして、そうして気長にやってやれば、すっかり治りますよ。

御伺い 次の子は、生まれて間もなく亡くなりましたが、親指が二本ありました。

御垂示 一本多いんですね。それもやっぱり霊的ですね。それは死んだのですね。まあ、死んだのなら説明の必要ないでしょう。

御伺い H・Ⅰ(昨年一〇月入信。二一歳)。生まれて三カ月目に頭にオデキができ、毒下しを飲みましたところ、一カ年ほど下痢が続き、止まると同時に目が悪くなり、お大師様にお伺いいたしますと、体毒と衰弱のためで膿底翳とのことでございました。五歳、六歳、七歳のときに両眼とも手術をいたしました。現在遠くの大きな物は見えますが、近くの小さい物は見えません。御浄霊はどこをいたしましたらよろしいでしょうか。

御垂示 底翳というのは、みんな膿なんだからね。毒下しだね。この毒が……下痢というのは、その毒下しの毒ですね。よほど強いものですね。これが止まると同時に……と言うんだから、毒が目に来たんですね。その時分本を読むかなにか、目を使ったんです。これは作った病気だ。たいした手術じゃないんですよ。これも無論良くなるんですがね。これは治らないことはないですね。気長にやれば治りますよ。たいした手術してないからね。浄霊は、一番肝腎なのは、後頭部の真ん中ですね。目はここが元なんですからね。これは何の目でもそうですね。近眼でも乱視でもね。後頭部から下がった真ん中の所ですね。ここが、一寸丸くらいの所が、目の一番の急所なんです。あとは、目の外からやって、ここ(後頭部)と……それが急所ですからね。あとは頸のまわり、肩と……無論固まりがありますから、そこを浄霊する。それで治りますよ。

(御論文『結核信仰療法』「結核は感染しない」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五五―五七頁〕

御教え それから、次のはこの前読みましたが……三項目読んで、次のをこれから読ませます。最近米国で結核菌を非常に急激に殺してしまう薬ができたと言うんですね。それを服むと、じきに全部の結核菌が死んじゃうと言うんで、結核を簡単に治るという説を唱えているんですがね。で、これが日本に来るのは半年以上一年経ってから、日本に来るだろうということになっている。けれども、まだはなはだ不確実のようで、はっきりは言ってないんですがね。で、いまも書いてある通り、結核菌は伝染するんじゃないんだからね。自分で湧くんですからね。だから結核菌を殺しても、後々湧いてくるんじゃなんにもならないです。元を殺さなければね。それが解らないんです。いまの犯罪者と同じです。犯罪者や貧乏人とね。犯罪者を警察や法律や刑務所や、いろいろなものでなくしようとしているんですが、ところがその元をなくさなければ、なんにもならない。元をなくするというのは、人間の魂ですね。悪いことはしない。犯罪は犯さないというのを作らなければならない。それは信仰によって神様を知るんですね。神様があるということを信じてこそ、始めて悪いことができなくなる。その方法をぜんぜん閑却して……閑却どころじゃない。そういうことを言うと、かえって迷信だとか言って弾圧する。そうして結果である罪を一生懸命になくそうとしている。

 これはなんでもそうです。いま、食えない奴ができる、税金で苦しむ、ということを言っても、まじめで働いていれば困ることはないんだから、貧乏で困るのはないんです。ただ、困るのは病気です。病気で金を使う。だから健康になれば、これは解決するんです。だから根本の、因を解決するんです。しかしいまは、根本というのは解決できないんです。根本をはっきり解っても、どうすることもできないですね。いまも言った通り、結核菌……それを殺すということのみ医学は研究しているんです。そこでいま、私は書いているように……「○ヽの文化」というのを書いているんですが、いままでは丸ですね。ポチ……これが元なんです。というのは、いままでの世界は○ヽの力が出なかった。つまり主神は……人間で言えば親父が出なかった。番頭なんです。だからいままでの神様は、神様の番頭なんです。キリストだって釈迦だって、番頭なんです。キリストは天の父と言う。天の父というのは主神ですからね。だから肝腎の中心は、みんな隠されている。丸だけしか見えないし、それだけしか解らなかった。で、メシヤ教というのは、主神の力ということがあるんです。ポチですね。だから、あらゆる人間の災い……その根本を解決していく力……その点がはっきり解ればだいたい解るんです。病気の原因も……結核菌の発生するということは、霊の曇りですから、霊の曇りを取れば、結核菌の因がないから、あと発生しない。というのは、あと発生しなければ、だんだんなくなっていくんです。人間に寿命があるように結核菌にも寿命があるんです。.だから、だんだんなくなっていくんです。古いやつはだんだん死んでいくんです。ところが後々できていくんです。子が生まれて、後々繁殖するように見えるので、医学は間違えたんです。で、菌を本当に殺すことができるような薬なら、人間も殺すんです。飲薬なら、胃に入りますね。胃から腸にいって、それがいろいろな消化機能の活動で、薬はほうぼうにいくですね。身体中にいくとすれば、その時分には、殺菌の力はなくなってます。また注射すると、血管をグルグルまわって心臓にいって、肺の黴菌の所までいくうちに、もう気が抜けちゃっているんです。本当に殺菌するなら……肺なら肺にやればそれは死にます。グルグルまわってもまだ殺菌する力があれば……毒の強いやつだと、それは人間の命がないです。だから、結核を殺すように、人間を殺すことになる。そうすれば徹底してますよ。それを一生懸命にやっているんですから、哀れなものですね。

 『結核信仰療法』は原稿ができましたから、最近出版するんですが、これで目覚ましをやろうと思っている。

(御論文「肺炎と肋膜炎」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六八…七〇頁〕

 私は一昨日、いま評判の三越の興福寺の展覧会に行ってみましたが、評判の阿修羅ですね。その木像がありましたがね。天平時代にできたんですがね。阿修羅というから、私は凄い顔をした、何修羅王と思って行ったところが、あんがいにも……まるで十七、八の処女のように、実にかわいらしい良い顔なんですよ。それで驚いたんですが、考えたところ、阿修羅が改心しておとなしくなった。それを現わしたものですね。で、それは非常に良いです。『毎日新聞』に、値打ちが一億なんて書いてありましたが、ああいう物は反証することができないでしょう。一億と言っても二億と言っても、相場というものがないですから、おおげさに書くんです。天平時代というのは千二、三百年前ですからね。その時代にあのくらいの巧みな彫刻ができるというのは、実に驚くものです。

 仏は、私は研究してますが、日本は世界一です。断然世界一です。日本の仏は支那から影響を受けたものですね。支那で仏の一番良い物ができたのは、六朝時代ですね。魏というんです。北魏という時代に一番良い物ができた。それが日本に入ってきたのが欽明天皇のときですね。それから間もなく、推古朝ですね。そのとき仏教が非常にさかんになった。そこで仏教芸術というのが生まれたんですね。法隆寺なんていうのは、そのときです。推古、白鳳、天平となるんですからね。仏像としてできたのでは推古が先なんですね。それから間もなく、法隆寺のいろいろなものですね。それから東大寺……奈良の大仏さんですね。それで俄然として仏教芸術が生まれたんですがね。そのときに生まれた。最初の推古ですね。そのときのは実に上手くできてますね。北魏時代の金銅仏は、銅に金のメッキをしてあり、珍重されてますが、日本の推古仏と較べたら問題にならないですね。どこか、支那の仏は間が抜けているんですよ。垢抜けがしてないと言いますかね。不器用なんです。もっとも、支那の仏というのは、インドから影響受けているんです。またインドの仏というのは、よほど間抜けなものです。それが日本に来ると、俄然として良いですね。これを見ても、日本人の美術的才能というのは、たいしたものです。世界一ですね。それと、展覧会でもう一つの良かったのは、乾漆で等身大の烏天狗と、あと三体ばかり乾漆ですが、これは非常に良かった。ただ、不思議なのは、お寺展覧会みたいな仏というのは一つもないんです。私は、お寺だから、観音さんとかお釈迦さんがあると思ったら一つもないんです。どういうわけでないかと言ったら、みんな売っちゃったんです。お寺の良い物なんかは、そうとう民間に散らばっているんですね。

 そんなような具合で、仏教の美術の彫刻というのは、実にすばらしいものですね。私は近ごろ研究して驚いた。ですから天平時代の彫刻を見ると、ロダンなんて足下にもつかないです。この間アメリカから帰ってきた人で、去年サンフランシスコの展覧会のときに係長になって行った人が、ついでにあっちの美術館を巡回してきたんですね。私は、あっちのいろいろな図録を見せてもらって、話を聞きましたが、アメリカの美術館を歩いても、日本の美に関する優秀性……これは世界一だと言ってますね。なぜ世界一かと言うと、美術の少し深いところにいくと、アメリカ人には解らないそうですね。勿論フランスやイギリスでもね。日本ほど解らないそうです。日本人の寂の芸術ですね。これは本当には解ってない。アメリカ人でも、終戦前はケバケバしい物しか解ってなかった。最近に至って、日本に関心を持ってきた。というのは、支那芸術のずいぶん古いのが行ってます。日本以上に行ってますね。陶器、銅器がね。ところが去年のサンフランシスコで刺激された。日本にはこんな良いのができるかと、俄然変わってきたそうです。これから、今年なんかもニューヨークで日本美術をやってくれと、申し込みがあるようですが、そんなような具合で、日本美術に対する関心というのはたいへんなものですね。いま美術研究家で牛野という人がおりますが、この人はいまヨーロッパに行ってますが、あっちで日本美術を講義に、委嘱されて行っている。いずれは私の美術館の顧問にするつもりですがね。だいたいいまのところ仏像、陶器、支那陶器、そういう物の権威ですがね。それから、いまの牛野という人は、全般的に非常に明るいですよ。この人はいま近畿鉄道で、いずれ美術館を造るというので、そのほうの芸術品の蒐集を委嘱されてやってますが、けれどもなかなか金がないんで、計画はしているけれども、なかなかできないんですがね。で、私のほうがずっと早くできるようになっちゃったんです。そんなような具合で箱根の美術館も、日本美術が主なものですから、外国人が非常に驚いて喜ぶだろうと思ってます。なお、日本の陶器もあるし、日本の蒔絵もあるし、絵画も……支那の絵画も日本の絵画もあるし、ずいぶんたいへんな、世界的な評判になるんじゃないかと思ってます。時間が来ましたから、話はそのくらいにしておきます。

「岡田茂吉全集 講話篇 第七巻 昭和二七年(続) 御教え集 『御教え集』七号」 昭和27年03月20日