昭和二十七年三月二十日 『御教え集』七号  (10)

御伺い F・Ⅰの長男H(五歳)。生まれたときより、目が青黒くどんより濁り、ぜんぜん見えないとも思われませんでしたが、三歳ころよりは絵本なども目の側まで持ってきて、やっと赤白の見分けが、つくときとつかないときもあるほどで、ほとんど見分けできません。そのころより目の玉の真ん中にチョボチョボがいっぱいでき、御浄霊をいたしておりますと、真ん中で水腫れのように白く腫れ上がり、一皮むけば、すぐにでも見えるような感じがいたしておりました。会長先生の御浄霊をいただき、中京別院にお詣りさせていただき、少し良くなり、大きな物は二尺くらい先でも、ボンヤリ見えるときもあるようになりました。初めは伏せてでないと寝れず、太陽もまばゆくて見えず、始終下ばかり見ておりましたが、最近はたいへん良くなりました。御浄霊の方法および今後いかがさせていただきましたら、よろしいでしょうか。また、霊的に関係がございましょうか。私ども夫婦は昭和二一年七月入信させていただき、光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させていただいております。なお、この日のとき一回だけ医診を受けましたが、薬は生まれてから一回も入れておりません。右御垂示お願い申し上げます。

御垂示 これは治りますよ。これは、目に毒が固まっているんですからね。これはだいぶ溶けて出つつありますがね。太丈夫ちゃんと治りますからね。安心していて良いですよ。霊的もありますがね。霊的というよりか、罪稜れですね。祖先のだれかが人の目を晦ますとか、そういったような目の怨みですね。そのために、その怨みの霊が、つまり膿になって出るんですね。で、浄霊は目と後頭部の真ん中ごろ……そこを浄霊すれば良いんです。それから頸のまわりも、固まりがある所があるでしょうから、そこをやると、それで良いわけですね。

御伺い Ⅰ・K(三八歳)。二五年二月精神異常となり、一家九人入信させていただき、大光明如来様も御奉斎させていただいておりますので、さっそく教会の先生に御浄霊をいただき、たいへん良くなりましたが、御法難ごろから親類の反対が激しく、本人が家を飛び出したり、川に入ったりいたし、弟までも精神病院に九ヵ月入院し、ペニシリン四〇本、その他をいたしましたが、いっこう良くならず、身体全体に浮腫みが来ました。昨年五月末退院し、今日まで御浄霊を続けております。浮腫みも去り、食欲もふつうとなり、弟もいまではおすがりいたしております。本人は昨今極めて無口で、倉庫(旧酒倉)に入りたがります。家族の者が御参拝に出ますと、落ちつきを失い、洒倉に入っていたり、縊死でもするような様子になります。生来病弱で肺灸、盲腸炎、腎臓炎、十二指腸潰瘍、胃痙攣などをいたしております。入信以前に六百六号もいたしております。入信後疥癬の御浄化をいただき、以来精神異常となるまで丈夫で働いておりました。先日一信者に、酒倉の中の蛇だと言って憑依し、いままでできるだけ邪魔していたが、どうしても邪魔することができなくなったと申したそうです。それから落ちつきも出て、夜もよく眠れるようになりました。ただいまでも、ときどき酒倉に入りたがるのでございますが、蛇と関係がございましょうか。また御浄霊上の御注意いただきたく、右御垂示のほどお願い申し上げます。

御垂示 これは蛇の霊ですよ。これは始終酒倉にいた蛇ですね。それで、洒倉に入りたがるんです。蛇が……殺された怨みですね。それですから、もう一息で治ります。だいぶ蛇も弱ってきましたからね。それですから、眠れるようになった。

 精神病というのは、最初は暴れて、それから無口になるものです。それから治る順序になるんですがね。ですから、そういう順序ですからね。それから、蛇と……六百六号ですね、これがいけない。六百六号をやると、たいてい頭が変になりますからね。そうすると、医者は、黴毒のためだと言うんですが、そうではない。黴毒を治そうとする六百六号のためなんです。もうだいぶ弱ってきているから、もう一息です。浄霊は前頭部……ここに一番憑るから、ここですね。それから頸のまわりですね。頸のまわりに必ず固まりがあるから、頸のまわりと……それですっかり治りますよ。しかし、そうとう年月はかかります。三年や五年かかると見なければならない。気がつくのは、もうじき気がつきますがね。それからまた、気がついたようでも、またヒョッヒョッと憑りますからね。それで、すっかり治るのは数年かかるものです。

御伺い 教師Y・N(四四歳)。本年一月一〇日ごろより全身的悪寒があり、肛門付近が奇形的に紅腫し、二三日肛門付近三ヵ所、陰部二ヵ所より、驚くべき多量の排膿があり、その悪臭は側の者が嘔吐するくらいで、その後続いて多量の排膿があり、高熱と食欲不振のためにそうとう衰弱し、二月になり右足の自由がきかなくなり、毎日午前三時ごろ無数の霊に頼られ、全身的痙攣をし、油汗を流し苦しみましたが、善言讃詞を奉誦させていただき苦痛はなくなりました。その後小鼻を打ち、視力おとろえ危篤状態となり、二月一〇日御守護お願いいたし、紐状の膿を排泄し楽にさせていただきました。そのとき死亡の場合を考え医診を受けますと、敗血症と肛門周囲膿?であると言われました。現在右足は多少動くようになり、排膿後は食欲は一杯半くらいいただき、視力は元通りになり、白色または赤色のヌラ状の排濃が続き、排泄口は肉が盛り上がってまいりました。三目前より左足裏に気味悪い熱さを感じます。右は痔瘻によるカリエスの膿の排泄でございましょうか。御浄霊の箇所および今後いかがさせていただきましたら、よろしゅうございましょうか。なお、本人は八年前に入信し、光明如来様を御奉斎させていただいております。

御垂示 肛門周囲……これは病名じゃない。説明だな。周囲に違いないからね。痔瘻によるカリエスなんてありませんね。カリエスと痔瘻は違います。これは結構です。体中の毒が肛門の付近や下に集まってきて出るんですから、これは上等ですよ。たいへんなお蔭だ。それに、峠はもう過ぎてますから、あとは日数の経つに従って、だんだん良くなります。あと、食欲だとか、みんな熱のためですからね。結構です。もう少し経つとずっと良くなります。

 それから痔瘻というのは、やっぱり頭の薬毒ですね。それが下りてきて肛門から排泄されようというんで、それをほったらかしておくと、痔瘻なんかにならないんです。痔瘻はお医者が作ったんです。つまり切りますね。すると、お隣に腫れてくる。そうすると、また切らなければならない。すると、またお隣に腫れてくる。だから、終いに蜂の巣みたいになる。それに手術したあと、消毒薬をつけますからね。それが、また一つの因になってくる。あれは医療が作った病気ですからね。カリエスというのは、肛門からは膿が出ません。臀部とか股とか……そういう所から出ます。

御伺い 教師K・Mの妻S(三三歳)。入信前ノーシンを常服いたしおりました。昭和二二年卵巣膿腫で手術し、全快しないうちに妊娠したために悪阻が強く、体の衰弱もあり堕胎手術をいたしました。それから肋膜で二ヵ年療養しましたが、良くならず、人に奨められるままにいろいろいたし、人骨を煎じて二ヵ月ほど飲みました。注射はザルプロ、ビタミン数十本を打ち少し楽になりましたが、今度は主人が喘息にかかり、そのときより再度御浄霊をいただくようになり、御守護いただき主人は税務署を辞して御神業にお使いいただくようになりました。大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させていただき、初めて農耕の手伝いをいたし、不思議に働くことができました。ところが、首にグリグリが無数にでき、数回膿が出、いまではグリグリがたくさんあるままに、口はふさがっております。昭和二六年一〇月「大光明」の御守り様を拝受いたし、痔出血の御浄化をいただき、本年一月ごろに左手に激痛が起り、皮膚は蝋細工のような色となり、血色悪く、体はフラフラとなり、毎日御浄霊をいたしておりますが、手の神経痛、腹部の痛み、腹の張り、胸の痛み、足の御浄化で、一進一退でございました。二月上旬より、痔の出血は止まり、通じも二回くらいで軽くなりました。二月一一日「大浄光」の御額をいただきますと、胃の御浄化で、咳が出、痰のような唾のようなヌラや苦い水がたくさん出ました。心臓が苦しく床に就いております。現在は頭がガンとして胸が苦しく、胃がからのような気がいたし、口が苦しく足腰がだるくフラフラで、御浄霊をいたしますと熱が出、咳が出ますが、痰が切れないので苦しみます。食事は軽く一杯、三度食べます。尿もよく出、便通もございます。右御垂示のほどお願い申し上げます。

御垂示 これは薬毒の浄化ですからね。いろんなものがいろんな形で出てくるんですから、その間辛抱していれば、だんだん良くなりますよ。こういうのは、だんだんいつとはなしに良くなりますから、辛抱していれば良い。別にどうという病気じゃない。入れたものが出る。それだけの話です。それから痰が切れないのは、浄霊の見当違いをしている。だから、良く調べてみる。これは自分で体中触って、調べてみる。熱があるから、そこから痰が出るから解ります。解らなければ、御主人に体を触ってもらえば良い。これも、峠を過ぎてますから、もう一息です。

御伺い Ⅰ・F(二一歳)。昨年八月一目お盆のお参りをすましてより、毎日午前九時ごろから一時間ほど鳥膚が立ち寒気を催しますので、御浄霊いたしますと楽にはなりますが、同じ状態を繰り返します。九月に入信させていただき、その後たいへん楽になりました(その間食欲はあまりございません)。本年正月より衰弱が目に見えてまいり、二月には床に就き、最近は腰から下は特に痩せて歩行も困難でございます。微熱はございますが、さしたる苦しみもなく、午前三時ごろから咳と痰を催す程度にて、食事は毎回一杯くらいでございます。かつて中耳炎にてペニシリン数本いたしております。叔父にあたる者三人ほど結咳で死亡いたしております。先日教会の発生より、長男として生まれた叔父(二一歳で結咳にて死亡)の位牌がないことを教えていただき、さっそくお祀りすることにいたしました。霊的の関係がございましょうか。

御垂示 これは肺病で死んだ霊が憑っているんで、できるだけ御神書を読ませる。都合で側の者が読んで聞かせても良いんですがね。そうして霊を救うんです。それで治るわけです。ちょうどやっばり……いろいろ、歩けなくなったりするのは、肺病で死んだように、体がいろいろになるんですね。だから、霊を早く救わなければならない。いま言ったようにして、浄霊は前頭部の中心ですね。そこを浄霊する。それから、あとは胸から背中と……そういう所を浄霊するんですね。それでだんだん良くなるわけですがね。で、その状態を、この次あたりにまた、質問に書いてきたら良いです。それによって、また方法をします。

御伺い Y・Ⅰ(六六歳)。昭和二五年一二月ごろより口中に痛みを感じ、医診を受け、血液検査の結果ワッセルマンおよび沈降の強陽性の反応が現われ、二六年七月までに六百六号一〇本、ペニシリン二二本を打ちましたが、極度の苦痛のために流動食さえ咽喉を通らなくなり、体は衰弱し、夜も苦痛のために眠れず、医師はこれ以上の注射は不可能であるとて、レントゲンに八回かかりましたが、なんらの効なく、衰弱は加わるばかりで、ついには舌癌と言われました。以後も苦痛を紛らすために、強度の睡眠剤を相当量服用いたしました。その後遠縁の者よりお道の話を聞き、さっそく御浄霊をいただき、徐々に快方に向かい、九月ごろは痛みも取れ、家族と同じ食事を摂るようになり、自転車にて教会にも行けるようになりました。さっそく入信させていただきまして、その直後よりふたたび悪化し、現在口中は、左側頬内部と舌の一部が爛れ、外部には左側耳下に固結があります。顎は痺れ、頭の左側、肩も左側が凝り、眼の縁が爛れております。食欲はありますが充分食べれません。辛うじて流動食に近い物を摂っており、体は痩せおとろえております。口から特有の悪臭あるヌラを止めどもなく出し、呂律がまわりません。御浄霊は教会から来ていただき、家にてもいたしておりますが、最近はあまり変化がございません。なお、住宅裏側に六尺ほどの楠の古木がありましたのを、昭和二二年に伐倒しました。右御垂示のほどお願い申し上げます。

御垂示 沈降の強陽性……血沈じゃないかな。レントゲン八回……これは医者に病気をこしらえられたんですね。実
際、災難ですね。これは医学の被害者ですよ。この人の状態は……これは霊的じゃないですね。薬毒ですね。で、左が……ここら(左顔半面)いっぱい薬毒が寄ってきたんです。ですから、それがだんだん腫れていって、どこかに穴があいて出ますから、それで治るんですよ。だから、別に難しい病気じゃないです。浄霊はだれがしているんですか。

御伺い 教会の先生と家でもいただいております。長引いてまいりましたため、龍神の関係かと思われましたので。

御垂示 龍神じゃないですよ。薬毒ですよ。痛みは結構ですね。赤い所はないですか。

御伺い 中は赤くなっておりますが、外はありません。

御垂示 口はあきませんか。

御伺い ときどきあき、膿が出ております。

御垂示 結構です。癌じゃありませんよ。ふつうのオデキです。浄霊する人の霊力が弱いんだな。霊力が強いと、だんだん溶けて出ていきます。霊力が強いと、痛みはないんですよ。霊力を強くするには、力を入れないことですよ。力をできるだけ抜くほど霊力は強くなります。まだ、浄霊する人に力が入るんじゃないかな。あべこべなんだからね。力を入れると霊力が弱くなる。それから、舌とか口の中のいろんなオデキですね。あれは、薬を服むでしょう。薬を服むたびに粘膜からしみるんです。それが溜まってオデキになるんですね。私なんか、奥のほうが痛いんです。しやべり方が変でしょう。これは、昔薬を服んだ時分……四〇年前ですね……服んだ薬が粘膜にしみ込んだのが、ときどきここに出てきて痛むんです。そんなに、薬は恐ろしいものです。だから、口の中の全部のオデキは、そういうふうに思って決して間違いない。

御教え  『結核信仰療法』の、この前の次を読ませます。

(御論文「黴菌発生」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五八―六二頁〕

 これは、以前私は黴菌というのは、たいしたものだと言いましたが、その説明です。黴菌というのは結果なんだから、結果の……黴菌が染るとか染らないとか、大騒ぎをやっているのが医学なんですからね。いまの説は、黴菌はどこからどうやって発生する、ということを説明したんです。浄霊ですね。こうやると、ここ(掌)から霊光が放射されますが、これは光の霊なんです。ですから、ピカピカ目に見える光は、光の体なんです。で、光の霊はいま言うように、目に見えないが、光の体より強いんです。光の体だけなら、レントゲンとか電気とかでやれば治るわけなんですがね。光の霊と体は、反対の働きをする。霊のほうは毒素を溶かすんです。体のほうは固めるんです。ですから、レントゲンとか太陽灯は、光の体ですから、毒素を固めるんです。レントゲンなんかかけると、豆粒のようにコチコチに固まるんですね。霊のほうは溶かすんです。それで、これ(浄霊)でやると、霊が行って、霊の曇りを溶かすんですね。溶かすと黴菌が発生しなくなるんです。霊の曇りというのが黴菌の因ですからね。ですから、こう(浄霊)やることは、黴菌を殺すことでなくて、黴菌の発生源をなくすることです。ですから、その点だけでもすばらしい進歩をしているわけですね。ところが、医学のほうでは、薬毒で、むしろその曇りを増やすようにしているものですね。薬毒の曇りというのは、薬を作って、薬から黴菌を発生するようにして……黴菌は医学が作っているんですね。そうして、その黴菌を殺そうとして一生懸命やっているんですから、おそらく、愚と言うか無智と言うか、譬えようもないですね。そういうことも説明して、いずれ目を覚まさせるんですがね。そこで、病気をなくす……病気を治すということは、いま言う曇りを取ることよりない。曇りを取るにほ、霊の光を放射するよりないんだからね。それをまず解らせるのが一番ですね。そうすれば、医学と浄霊と、比較が根本的に違うんですね。根本的に違うというより、こっちのほうは、病気の根本を治す。先のほうは病気の根本でなくて、結果ですね。現われたものですね。ちょうど、同じ理屈ですよ……いま、不幸な者ができると、それを社会事業……いろんな救貧事業、慈善事業、養老院、孤児院だ、なんだかんだいろんな、保険とか……健康保険とか、災害保険とか、いろいろありますが……そうしてやってますが、ちょうど医学と同じです。あれは黴菌になったのを殺しているんです。不幸な人間ができるということが因なんだから、すなわち霊の曇りですね。それを取れば良いんだ。それに気がつかないのと、気がついていても不可能なんですね。だから、メシヤ教というのは、すべての因を解決しているんだから、因を解決すれば、病貧争絶無の世界ができるんだから、理屈はそう難しいことはないんです。いまの、社会事業と宗教事業のは、今度の新聞に出しましたがね。この前に読んだですね。だから、浄霊については、まだ信者に入らない人に対する説明ですね。いま言ったように説明してやれば、だいたい解ると思いますがね。
 それから、いま再軍備問題が非常にやかましい。それについてちょっと書いてみたんですがね。

(御論文「再軍備に就て」朗読)

 これはちょっとおもしろい言い方なんですけれどもね。

(御論文「ジャーナリストには言論の自由なし」朗読)〔「著述篇」第一〇巻四二八―四三〇頁〕

 これはまだちょっと書き足りないですが、非常にためになることだから、良く聞いて。

(御論文「神様が発展の調節」朗読)〔「著述篇」第一〇巻四一九―四二一頁〕

 一昨日ですか、今度アメリカから帰ってきた人で、この人はサンフランシスコの講話記念の美術展覧会……あの仕事の中心になっていた人ですがね。あっちでいろいろの世話をやいて、品物なんかを選んだり、送ったりすることをやって……繭山という人ですが、これは支那陶器では第一人者で、半分くらい骨董屋的なことをして、あとそういったような貿易をしている。ですからほとんど、あっちの美術館なんかにある日本品は、その人が預かっているんです。それから、アメリカの人にいろんな説明なんかをいろいろやったんですが、この人も今度こっちの美術館の支那陶器を大いに手伝うことになってますが、その人の話と……あっちの美術館のカタログとか、そういう物をたくさん持ってきて、私は一通り見ましたけれども、感心する物がないですね。ほとんど、日本品なんてのは贋物ばかりと言っても良いですね。本当の物はないんです。ずいぶんひどいです。で、アメリカの人も最近になって、非常に変わってきたです。以前はアメリカ人なんて言うと、ケバケバしい、ただパッとしていれば良いと、それに贋物を作ってずいぶん送ったんですが、最近ずいぶん変わってきて、サンフランシスコなんかでも、一カ月の会期で二○万人から来たんですからね。そんなわけで、大いに開発されて、だいぶ評判が高くなったわけですね。そんなわけだから、非常に日本美術に憧れて、ぜひ今年もやってくれと言うんで、いよいよ日本でもやるようですがね。サンフランシスコに出したのなんか博物館で見ましたが、一級品はほとんどないんです。二級品、三級品ですね。それでも、向こうではたいへんな騒ぎだそうですからね。それから、支那の絵なんかも、写真で見ましたが、これも古いのはほとんどないですね。みんな現代画ですね。康煕、乾隆……二〇〇年以前くらいからのですね。どうしても、支那の絵というと宋元ですから七、八百年前ですから、それはないですね。良いあんばいに、それは日本にはたくさんあるんですからね。今度の美術館も……なにしろ狭いからたくさんは出せないが、出せるだけ出しますがね。東洋美術としては、支那の陶器と銅器ですね。これは良い物がある。やっぱり美術館の一番良いのは、ニューヨークの州の美術館ですがね。これは、良いというよりか、広くいろいろ揃っているんですね。その次がボストン、ワシントン……それが主なものですね。ボストンは日本の絵画が多いですね。これは四、五十年前に岡倉天心という人が、顧問になって、日本から入れました。たいした物は行ってないですね。だいたい版画ですね……浮世絵ですね。その時分は、日本の古い物なんかを……いくらか手加減したのと、その時分はあんまり売り物がなかったためですね。それで、日本の品物でアメリカにある一番良いのは、ボストンの美術館にある。藤原時代にできた『平治物語』という巻物です。三巻です。これは良い物ですが、三巻のうち一巻がアメリカに行った。富田幸次郎という有名な人ですが、この人があっちに頼まれて、いまから三〇年前……その当時一四万五〇〇〇で売ったんですね。ずいぶんたいしたものですね。それを非常に大事にしているんです。美術館の部屋の真ん中の所に棚を作って……よく、博物館なんかの巻物のようにして……ふだんは布を被せておく。なぜかと言うと、光線が当たると、いくらか色が悪くなる。退色するという懸念でね。見たいと言うと、看守が一々来てまくって見せる。見たらまたかける。そのくらい大切にしているんですね。それが日本の美術としては、アメリカでは最高の物ですね。ところがそういうような物は、日本には……そうたくさんはないが、そうとうあるんです。すなわちそれよりもっと良いんで、伴大納言という人の画いた絵巻物があるんですがね。それよりもさらに良いのには、天平時代にできた因果経という、上に絵が画いてあり、下にお経が画いてある。これは巻物では一番良い物なんです。二三〇行とかいう行があるのですが、あんまり高いので分割したんです。分割して―五四行ずつに分割して、あとは二〇、三〇、一〇行ずつくらいに分けたんです。天平時代ですから、一二〇〇年前です。一二〇〇年前に画いた絵が、いま画いたようにはっきりしてます。緑青なんかはっきりして、不思議なものです。そのくらい日本の美術品というのは、アメリカで貴重にしているという話をしただけですがね。時間がないから、話はそのくらいにしておきます。

「岡田茂吉全集 講話篇 第七巻」 昭和26年03月20日