昭和二十七年三月二十日 『御教え集』七号  (1)

二月五日 立春祭

御教え 今日のお天気は馬鹿に良くて、昨日の節分となんだか、こう……昨日はほうぼうの神社仏閣で豆撒きをやって、今日から立春で……ちょうどお天気の具合がそれを物語っているような気がするんです。

 節分の話は毎年話しているから、いまさら言ったところでしょうがないけれども、とにかく神様のほうから言うと重大な日なんです。特に一年一年節分が重大になってくるわけなんです。あんまり深いことは言えませんけれども、一番だれにも解ることは(これは信者ですけれども)つまり浄化が旺盛になってくる。強くなってくる。それが節分と六月一五日ですね。そういうような節々ですね。節々に浄化が強くなるというわけなんで、ただ節分と六月一五日の異いさはあるんです。六月一五日の節というのは、霊界が明るくなるんですね。火素が増える。それから節分のほうは、そういったのでなく、神様のお働き……それが異ってくる。節分が、夜の世界の罪穢れが清算される。すると、六月一五日のほうは明るくなるというような……そんなようなものですね。で、それがだんだん強くなって行くんですがね。近ごろは浄化が非常に強くなってきた。信者の人で、浄化の強い人がずいぶん……これは、信者の人もみんな知ってますがね。なかなか、古い人でも、かなり強い浄化が起るんですね。で、信仰の固まっている人は、どんな強い浄化でも、それを逃れますけれども、少しフラフラしている人は、なかなか危ないことがあります。けれども、結局は救われますけれどもね。たまには、子供やなにかの身代わりなんてのがありますから、よほどしっかり信仰を握っていなければ負けですね。ですから、今日を過ぎたら、面会のたびに、最後に私が五分か一〇分くらい、みんなを浄霊してやろうと思ってます。浄化のために活動に影響するといけないですから、できるだけそういうことのないように、やってあげようと思ってます。

 それから、御神業のほうも……一昨年あの事件があったときに、散花結実……このことを話もし、書いてもあげましたがね。去年あたりが、ちょうど花が散って、実の中心ですね……実の芯がやっと、しっかり芽が出たというような意味でしたが、今年からだんだん育って行く形なんですね。育っていくということは、要するに表面的の活動になるわけです。今度は、実ですからパッとはしないけれども、ジリジリ進んでいくわけですね。それは、ちゃんと御神業に現われてきますから、良く分かります。それで今年は、先月の三〇日に発行した『栄光』の「農業特集号」……あれは一つの現われと見ても良いですね。たいてい読んだでしょうけれども、あれは農業会にとっては原子爆弾です。とにかく、いままで……有史以来ないですからね。ずいぶん驚くだろうと思います。ただ驚くだけじゃしょうがないんで、そうかといって、なるほどこれは良いと言って、大々的に実行するということは、ありっこないです。ただ、あれを見れば、ははあこれほどに言う、またこれほどの実例があるんだから、ぜんぜん根拠のないものじゃない。もしこれだったら、たいしたものだ。じや、少しやってみようか、ということで、まあ一割くらい試作をやると思う。まあ、試してみようというんで、一部分、試作してみようという百姓は、ずいぶんできるだろうと思います。それで結構なんです。やっているうちに解りますからね。それで、いままで無肥料栽培について、非常に障碍があったということは農事試験場が、有肥と無肥と両方やったところが、無肥のほうが成績が悪いんです。それで、認められなかった。ところが良く調べてみると、種を……有肥の種を使った。そこにたいへんな間違いがあったんですね。だから、有肥の種を無肥にすると、具合が悪いんです。ちょうど酒飲みが禁酒するようなものですから、やっぱり一時馬鹿みたいになっちゃうんですね。

 ちょうど、今度……あれを出しておきましたが……ビルマ米が日本に来たら、まるでできないんですね。ところで、なぜできないかと言うと、ビルマでは無肥でやっている、日本に来て有肥になった。それが悪い。私のほうの信者ですが、無肥でやったところが、非常に良くできて……これは昨年ですが……三倍ですかね。穂まで持ってきましたがね。たくさん生っております。これはすばらしいと言った。ところが世間ではぜんぜんできないんです。ちょうど、いまの理屈のぜんぜんあべこべですね。そういうことで、種も肥毒があっちゃいけないということを、良く出してありますから、そういうことも気がつくと思います。そんなわけで、できるだけ早く、日本中を切り替えしなければいけないと思います。主なる所……大臣とか国会議員、農事試験場、農会、農科大学、各村長……そういうものに……約一万五〇〇〇くらい配りましたが、一万五〇〇〇といっても一人が一枚読むわけじゃない。一枚を五人も一〇人も読むからね。おまけに変わったことですからね。そうとうな反響があるだろうと思います。そうかといって、すぐどうということはないでしょうが、これが第一期として一つガンと頭をやられたようなものですから、忘れることはないです。そのうちに実際方面ですね……各農村で事実を見せるということで、ああこれだなということになるから、だんだんそういった一つの機運が起ってくるわけですね。それから、こうしておいたために、今後農村で自然栽培も、あんまりいままでのように嘲笑したり、いろいろ非難したりすることは、よほど緩和されるだろうと思います。まあ、やり良くなるわけですね。で、あれを翻訳して、司令部とかアメリカのほうにも送ろうと思っている。

 それからいま、私は『結核信仰療法』という本を書いて……あらかたできあがりましたが、これは単行本にして発行しようと思っている。新聞広告を連続してやろうと思う。それから、あとは各大臣、国会議員から医学方面……医科大学、大病院、結核療養所、それから著名なお医者だとか、医学に関した、いろんな医学専門学校……そういう所にも配布するつもりです。いままでああいう本が出ても、そういう方面はわざと避けるようにして、出さなかったんです。今度は表面的に……ちょっと教線的のようですけれども……しかし、なにしろ一番肝腎なことは、お医者を解らせることですからね。お医者を解らせるのが根本ですからね。それで、いよいよそういう手段をとることになったんですね。これは無論翻訳して世界的に、ノーベル賞審査委員会から、外国の大学とか、そういった医学専門家方面にも送ろうと思ってます。これはむしろ日本より外国のほうを主にしてやろうと思ってます。そうして結局、やっばり……革命ですね。平和革命ですね。いままでの革命はみんな危ない革命でしたが、今度はそうではない。いままでとは反対の、暴動を起したり、そんなではない。至極平和なありがたい革命です。おもしろいと思いますね。で、農業のほうも肝腎だけれども、医学のほうはもっとずっと肝腎なんです。医学の間違ったために、人間が苦しむというほうが、ずっと大きいですね。これは、信者の人はみんな知っているから、そう精しく言う必要はないようですけれども、なにしろあまりに無智蒙昧と言いますか、ひどすぎるんです。実に見ちゃいられないです。だからこれは、どうしても人類に解らせなければ本当の救いというものはできないわけですね。

 近ごろ……去年あたりは結核が減ったなんて喜んでますけれども、減ったというのは、BCGとか、ストレプトマイシンとか、やれオーレオマイシンだとか、いろいろ新しい……ああいう薬を用いますから、そのために浄化を停止したんです。浄化を停止したために、一時、死亡だとか悪化を……一時食い止めたから……抑えたからね。それだから、ちょっとそういった死亡率とか患者とかが減ったんですが、けれどもそれで、ずっといくわけじゃないんだから、結局また浄化が起って、今度は先よりか悪性な結核か、さもなければ他の病気ですね。形を変えた病気ですね。形を変えた病気というのは、近ごろアメリカで非常に起り出してきたですね。アメリカでは、いままでないような悪性な病気がだいぶ起ってきましたが、これは結核を食い止めたためです。それから英国あたりは、結核が非常に少ないけれども、浄化をごく弱らせた……消極的健康者ですね。フラフラ人形ですね。この間も、私は映画を見て、外国のニュース映画ですが、ボクシングですね。黒人と白人とやったけれども、てんで……まるで、桁が違うですね。実にイギリス人のほうが弱いですね。まるでヘトヘトです。黒人のなんとかいう……有名な……あれは強いです。近ごろボクシングは、みんな黒人のほうが強いですね。それから、他の重量挙げとかマラソンとか、アメリカ辺りでもインディアンのほうがずっと強くなってきた。ですから、文明国の人間のほうは、ただ病気を起らないようにするために弱らせ、起らないようにしたんですから、そういうヒョロヒョロな人間がだんだん増えちゃった。これは私がいつも書いているから解りますがね。従って英国でも、国民の元気さがなくなってきたですね。だから戦争とか、そういったことを怖れて、ただ無抵抗主義になった。あれは国民の元気がなくなった……弱ったためです。そのために、イラン問題とか、エジプト問題ですね……あれが各地に起ってきて……結局は英国は殖民地だってなくなりますよ。それを、どうするというだけの元気が、もうないですね。そんなような具合に、医学のためにだんだん弱らせていた。これははっきり解っているんです。それが、結局主なものは薬毒ですけれども、これをどうしても、文明国の人間に解らせなければしようがないんです。それを解らせるとしたら、どうしても世界的にうんとやらなければならない。神様もそういう御意志なんです。それは勿論成功しますけれども、いろんな変化はあるだろうと思います。で、これは平和的の革命ですから、いくら思いきってやったところで……別にそんな危険なことや、そういうことはないんです。安心して良い。

 それからもう一つは、原子爆弾ですね。原子爆弾を逃れることができるんです。ただ、時期の問題です。けれども、もうそろそろそこに来つつあるんです。というのは、原子爆弾というものは、だいたい……原理というものは、光なんですからね。やはり火素なんです。で、原子爆弾の光と、われわれのほうは……私のほうは霊子爆弾ですね。霊子爆弾の、これも光。どっちが強いか弱いかと言うと、無論霊子爆弾のほうがずっと強いんですよ。だから、こっちのほうの火素と……向こうも火素ですけれども……こっちは霊の火素で、向こうは体の火素です。だから、どうしてもこっちのほうが勝つに決まっている。こっちの火素がだんだん強くなりつつありますからね。もう原子爆弾には負けないだけに強くなっているはずなんです。で、長崎、広島の原子爆弾のときも、信者の人で助かった人がたくさんいるんです。ずいぶん、驚くべき奇蹟が、だいぶあるんですね。いま、その当時の記録を集めてますけれども、それが集まって、確実ということになれば、それをアメリカのほうに……翻訳して……主なる所に送ろうと思ってます。そうすると、原子爆弾を逃がれるということになれば、これはたいへんです。やっぱり、戦争をなくすということが可能になるんですね。ですから、病貧争絶無の世界……病気は無論なくすることができますし、それから貧乏はなんといっても、農産物が根本ですよ。まあ、人間食う物だけが足りれば、あとは贅沢なんですからね。生きているだけは、もう間違いないんですからね。だから、米の増産です。今度は争いですね。争いといったところで、人間同士の喧嘩や……そういうことは知れたものですからね。その人が信仰にでも入れば、無論なくなりますからね。ただ、一番厄介なのは、戦争ですよ。戦争のうちでも、もっとも厄介なのは原子爆弾ですね。そこで、原子爆弾ですね。そこで原子爆弾を免れる……そういうものができれば……つまりそれ以上の発明ですね……それは、もう解決はつくんです。だからまず、こっちの霊子爆弾ですね……それによって原子爆弾を免れるということが、まず病貧争絶無の世界を造るという最後の急所だろうと思うんです。これもだんだん神様のほうでも、火素の力が強くなりますからね。ですからこれも時の問題です。無論そういうことが、向こうのほうで認識すれば、試験ということになります。実験ということになり、豚とかそういった獣に御守りをぶら下げておく。そうして実験してみれば分かるんですからね。あるいは人間となれば、死刑囚かなにかですね。それを実験してみれば解るんですから、だから難しいことはないんで、そうなったら、なかなかおもしろくなると思います。

 それから、今年の仕事としては、だいたいいまの農業と医学ですね。全般的医学のほうは、まだ『文明の創造』ができないから、最初は結核問題だけを今年やるつもりになってます。

 それから、いまできつつある地上天国、特に箱根の美術館ですが、昨日も行ってみましたけれども、だいたい内部の基礎はできてます。ただ塗るだけですが、塗るのは、いま気侯が悪いですから、もう少し暖かくなってから……で、三月からならば塗ることはできますからね。それで、ああいうのは、伽藍堂みたいなものですからね。三月いっぱいくらいで塗れますからね。あとは、品物を並べるケースですね。あれだけですから、予定の五月までには、まず間違いなくできると思って良いんです。それで、なかなか思ったより形やすべてが良くできたように見えます。

 それから、熱海のほうの地上天国ですね。これはみなさん始終見ているから解るでしょうが、だいたい地形はできて、ちゃんとなるには、もう半年くらいだろうと思いますね。そうすると、建築にかかるつもりですけれども、最初メシヤ会館と展望台を一緒にやるつもりでいるんですよ。すっかり設計はできているんですが……できていると言っても、私の頭の中ですから、まだ見せるわけにはいかないんです。で地形なんかも、非常に具合が良いんです。私はいろいろやっているうちに、実に神様は、よくもこう行き届いて準備をされると思ってますね。で、いまツツジの山をこしらえてますが、あれだけできただけでも……今年の五月には花が咲きますから、壮観だろうと思います。会館も……敷地が、見らるる通り、ずいぶん大きくできましたがね……七、八分通りはね。建物は六三〇坪ですね。そこに付属をいろいろ……事務室とか応接間とか、それから神床を、後ろのほうに出っ張らせたりして、なんだかんだ……それから展望台とか……そんなで、七〇〇坪とみなければならないですがね。それで、今年の夏あたりから、やり始めることになるだろうと思ってますがね。だいたい一年くらいで造っちゃう予定です。来年の秋ですね。来年の秋に、開館式をやるようにしたいと思ってます。まあ、なにしろ神様がやっているんですからね。別に難しいことはないですね。やる気になったらスラスラと行っちゃうものですね。ですから、ずいぶん金なんかたくさんいるでしょうけれども、やっぱりそういう金は、ちゃんとできますからね。そういうことは心配することはない。箱根の美術館なんかも、去年やっと敷地やなにかをやって、一年前のことを考えると、実に早くできたですね。で、中に並べる美術品も、これも不思議にちゃんと、すばらしく並べられる物が集まることになってますからね。それで、良く考えてみると、美術品ですね。美術館が、日本にもほうぼうにありますが、日本の美術館というのは一つもないんです。みんな外国の美術館です。誓えてみれば、博物館ですね。上野博物館、京都博物館と言いますが、まず、仏教美術ですよ。仏教に関した物は、これは立派な物です。……たいしたものです。だいたいお寺とか、国宝とか御物とかは……そういう物は、博物館なら集められるわけです。ですから仏教美術は、博物館は立派なものです。京都の博物館は、同じようなものですが、京都の博物館は寺院美術ですね。ほとんどお寺のものばかりです。それから個人のものでは、ブリヂストンの美術館の物は、油絵ばかりですからね。西洋の美術館ですね。それから、東京の根津美術館ですが、これはだいたいお茶の陶器ですね。茶器……あとは支那の陶器ですね。日本の美術としての……日本の蒔絵とか……そういう物は、ほとんど見るものがない。ですからこれは、むしろ茶器美術館ですね。それから、大倉集古館ですね。あれも、いまたいしてやってないが、とにかくそうとうありますけれども、支那の物ばかりです。支那美術館です。それから「ワカモト」の長尾美術館は、この間見たけれども、知れたもので、論ずる価値はないですね。それから、京都の住友美術館も、支那の銅器ばかりですね。ですから、これも支那美術館ですね。それから大阪の白鶴ですね。これは、支那の陶器と銅器ですから、これも支那美術館ですね。この間行ったとき、天王寺美術館を見ましたけれども、これも支那美術館です。それから、岡山の大原美術館……これは行ってはみないけれども、西洋の油絵が主ですね。やっぱり西洋美術館ですね。こう見てくると、日本美術館はないですよ。日本人でいて、日本美術を見ようと思っても、見る所がない。実におかしな話です。そんなわけですから、外人が日本に来て日本美術を見ようと思っても、見ることができない。日本美術ではだれが上手い。日本美術じゃ光琳が、絵じゃ上手だ……良いと言ったところで、光琳はどこにあると言っても、光琳はどこにもない。博物館に富士の墨絵がありますが、私の所に持ってきても買いませんよ。宗達が良いと言って、博物館にしみったれた墨絵がありますが、これもしようがない。日本中……見ようと思っても、見る所がないですからね。日本は蒔絵が良い。日本の特産だと言って、博物館に行っても茶棚はありますが、他は見る物がないですね。日本陶器は良いと言って、仁清と乾山。柿右衛門はあんまり感心しない。あれは、支那の模倣ですから、私はあんまり重きをおかない。日本陶器としては仁清、乾山、鍋島ですね。この三種類は、私のほうでいろいろ集めましたがね。あと瀬戸焼がありますが……唐津だとか、志野だとか、黄瀬戸とか……いろんなのがありますが、これはなにかと言うと、朝鮮の模倣ですからね。結局朝鮮に習ったんです。そうしてみると、日本独特のものは、絵では琳派ですね。光琳、宗達、乾山、抱一……琳派物。あとは大和絵ですね。土佐派です。狩野派とか……ああいう物は、支那の絵画の模倣ですからね。陶器といえば仁清と乾山、鍋島です。あとは蒔絵です。これだけが日本独特の美術です。この日本独特の美術を見る所がないんです。そういう物を、今度できる箱根の美術館は、これを主にして並んでますからね。そこで、日本人が一番驚くと思います。日本には、こんな名人がいたのか、こんな立派な物ができたのかと、これは日本人が驚きます。そういう点においてずいぶん評判になるだろうと思います。外国人なんか、それを知ったら見たがってたいへんです。私が最初、それこそ、自分の気に入った物を買うと、むちゃくちゃにやってましたが、神様がみんなそうしたので、いまになってみると、実に良い物を安く買ったものだと思って、いま本当に感心しています。終戦後バタバタとやったんですからね。そんなようなわけで、美術館も非常に期待して良いと思いますね。熱海にも美術館を造りますが、これはゆっくりとね。会館と展望台ができて、一段落ついてからね。熱海の美術館は、これは世界的なものを造ろうと思ってね。機材も……建築……そういった施設も……そういうものも、アメリカやイギリスに負けないものを造るつもりです。いまから考えてますけれどもね。そんなようなわけですから、今年から非常に表面的におもしろくなって、まあ……大いに楽しみにしているわけです。話はこのくらいにしておいて、お笑い草に寸鉄だけを。

「岡田茂吉全集 講話篇 第七巻 」