▽前節から続く▽
それから、龍神ということを、よく書いてもあるし、言ってもいるんですが、龍神を見る人も、たまたまありますけれども、このお蔭話はいかにもはっきり見せたわけですね。
(御論文「龍神はある?」およびお蔭話朗読)〔「著述篇」補巻二、四二三-四二四頁〕
これは、実にはっきりしているんですが、それで龍神が憑ると、一番は足が歩けなくなります。この娘さんも、両足がブラブラになっていたのは、そういうわけです。その代わり、龍神が離れると、だんだん歩けるようになります。これもはっきりしているんです。そういうわけで、龍神が、古井戸に埋められて、住めないというとき、新しい井戸に移るのはわけないが、霊界のほうは、だらしのないことや、融通のきくことではないんです。だから、実に几帳面なんです……霊界というものはね。つまり新しい井戸に移っていただきたいと……お移りくださいと言えば、その言霊によって、すぐに移ることはできるんですね。こういう点は非常に几帳面ですね。そこにいくと、現界は実にだらしがないですよ。だらしがないといって、自由なんですよ。人間ほど自由なものはないですよ。
霊界では、位の高い人の側には寄れないものなんですよ。昔の大名ではないが、何間か離れなければ、側に行けない。現界では、人間はどんな偉い人でも側に行けるんですが、なかなか霊界はそうは行けないところに異いさがあるんですがね。けれども、今日の現界というのは、そういった自由が過ぎているんですね。あまりに無差別的になっているんです。それも深い意味があるんですがね。夜の世界であったために、最高の神様が隠れていたんですね。つまり、火の系統の神様が隠れていたんですね。そこで、それほどはっきりしなかったんですね。はっきりしないのと、最高の神様が隠れられていたために、人間との差別が、たんとないわけですね。それでこうなった。だから、昼間の世界になると、その点もあるからして、だんだんと人間も正確になるんですがね。そうかといって、いままでの信仰のように、馬鹿馬鹿しく窮屈ですね……あれもいけないです。やはり、自由であるとともに、きちっとすべて几帳面にやる。そういうような意味ですね。
▽次節に続く▽