▽前節から続く▽
それから、もう一つお蔭話がありますが、よくあることですけれども、いったん霊界に行って、また生き返るという人がときどきあるものですが、それがはっきり書いてありますからね。いま読ませますけれども、人間の寿命というのは、だいたい決まっているんですからね。それより長く伸びるということは、命を継ぎ足していただけるんですね。それが信仰の得なんです。だから、実に信仰というのはすばらしいものです。他の宗教にも、ないことはないが、ごく弱かった。だれもかれもと、はっきりとはいかなかった。それがためには、難行苦行したり、いろいろお祈りするとかですが、メシヤ教は簡単に、そういうすばらしい命を継ぎ足し……それをしていただける。汽車の中でそういうことがあったんですからね。実にメシヤ教の神様の力のあることと、御守護の強いことが良く解るんです。
(御論文「生命の継ぎ足し」およびお蔭話朗読)〔「著述篇」補巻二、四二〇-四二二頁〕
つまり、この人は、このときが寿命だったんですね。ですから、いったん死んで、新たに神様が命をくださった。こういうことで助かった人は、後の命は、ぜんぜん神様の御用をさせられるべき人なんです。そこで、私有財産みたいに自分勝手に使ったら、お取り上げになります。そういうふうに命をいただいて、相変わらず金儲けだとかして、命をお取り上げになった人がありますよ。
それから、この間地方の宣伝旅行ですね。例の松井さん、鈴木さん、アザブさん、鹿島秀月さんですね。そういう人たちが行ったときに、やっぱり私になにか書いてくれと言うので、書いたんです。それを読ませます。
(御論文「舌に代えて」朗読)
▽次節に続く▽
「『御教え集』六号,講話篇第六巻p431~432」 昭和27年01月26日