昭和二十七年一月二十六日 教集06 (4)

〔御伺い〕 T・K(一六歳)。三、四歳のころ手探りで遊んでいることから眼が不自由なのに気づき、医診では生来、視力が弱いのだから近視、乱視と異なり眼鏡矯正はできないが、成人して体がしっかりしてくるに従って良くなる。それまで待つよりないと言われ、治療はぜんぜんいたしませず放任のまま今日に至りましたが、視力は依然として弱く、ときには、ほとんど見えないこともあり、就職も思うに任せぬ状態でございます。眼以外には、体は丈夫で、体格もふつうで今日まであまり病気したことはございません。家族三人入信。光明如来様、御屏風観音様は御奉斎させていただいております。この眼は霊的でございましょうか。またいかがいたしましたら、よろしゅうございましょうか。

【 御垂示 】 これは霊的らしいですね。前の世で、つまり死ぬときに盲で死んだか、あるいは死ぬときに目をやられて死んだかですね。ぶんなぐられたりして……撲殺で目をやられたかですね。とにかく、なにかで目をやられて死んだ霊ですね。それが霊界で治りきらないうちに生まれ変わってきた。これは治らないことはない。治るんですがね。ただ、こういうのは長くかかるんでね。それから、よく……ぶんなぐられたりしていると、後頭部をやられて見えなくなっていることがあるからね。たいてい、前をやられて見えなくなるということはないですね。後ろですね。それで、後ろがふつうじゃないですよ。固まりがあることがある。それを浄霊して取るんですね。そうすると、ふつうになるかどうだか解らないが、不自由がない程度には治りますよ。それで、光明如来様をお祀りしてある部屋に寝かせるようにする。いつ入信したんですか。

〔御伺い〕 二四年かと存じます。母親は二二年の暮れに。

【 御垂示 】 少しは良くなっていなければならないがね。

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〔御伺い〕 務めに出ておりまして、住み込みのために御浄霊も充分できませず、今度、務めを止めて帰るようになっております。

【 御垂示 】 結構ですね。そうして、良く浄霊してやったら良いですね。

「『御教え集』六号,講話篇第六巻p424~425」 昭和27年01月26日