昭和二十六年十二月二十八日 『御教え集』五号 (3) 

 それから、今年の思い出話と言いますかね……割合に今年は平凡だったですね……教団もね。平凡ということは良いことなんですよ。いろんな、変わったことがあるというとろくなことはないですからね。で、散花結実の実になるような……実になって、実が育つという形でしたね。それから、パッとはいかないけれども、じりじりと発展しつつある形です。来年辺りから、だんだん実が育つということになるだろうと思います。で、なんと言っても、今年の一番目立つことは美術館ですね。美術館は、この間箱根に行ってみましたけれども、もう外郭はすっかりできて……あんがい早く進んでいるようです。そこで陳列するのが、不思議にいろんな所から連絡が取れたり、割合安く手に入ったりするんです。ですから、道具屋が「不思議だ、不思議だ」と言ってます。最近手に入ったので銅の花活けですが、鎌倉初期時代にできたものですが、奈良の法華寺ですかね。法華寺のお堂に飾ってあったんですね。ですからお賽銭の疵がいっぱいついている。長い間……何百年の間……お賽銭をぶつけたんですからね。しかし見悪いことはないんです。硬い金で、厚いですからね。かえって艶消しみたいになって良いです。それが、彫刻なんか、実にすばらしいものなんですね。私は日本の銅器としては初めて見ましたね。あれは非常に安いと思いますね。専門の道具屋に見せると、一番安くいうのが五〇万円と言う。五〇万円でもお辞儀して買うくらいです。ですから、これは有名なものですね。その贋物じゃないが、それを写したものがずいぶんできてますがね。座っていてそんな掘り出しものするなんてね。そういうようなことが良くある。一番私はありがたいと思っているのは、終戦後……ちょうど二〇年の暮れからぼつぼつ買い始めた。その時分にはとても安かったのと、なにしろ世の中が混沌たる有様で、その後に財産税がきたので、旧華族とか財閥とか……そういう人たちが……おまけに進駐軍のほうで財産管理をして……三井とか岩崎の生活費をすっかり書いて届けるんですからね。生活費なんか、月に何万円と決められているんですからね。どこの金が何万円入るということになって、それ以外に、土地でも……そういった財産は手をつけられない。そこで、ああいった人たちが、小遣いにも困る。そこで背に腹は変えられないので、そうとうしまってあったのを出すということになった。そうとう良いものがあった。そうして、財産税のときに払えないので、差し押さえられるというので、税金のために売ったのもそうとうある。そこで、私が……目の通らないような、知らないものでも、感じだけで買ったんですね。だから、ずいぶん安く、金の入るだけ買ったものです。それが、今日はぜんぜん出ないんです。たまたまそういうのが出ると、ほとんど贋物です。

一昨日、仁清という人の鴨の置物で、これはきれいに……色絵と言ってね。いろいろな色が使ってあった。実際の鴨のようにきれいなものですね。その焼物の置物で、それは、道具屋は東京で一流の道具屋です。本物のつもりで、この間言っていたんです。仁清の鴨掛けをいずれお目にかけますと言っていたんです。見ると贋物なんです。それで、良く説明してやった。仁清はもっと濃い色を使う。嘴がこんな不格好じゃない。それから、裏に仁清と銘がありますが……こんなものはない、と言ってやった。驚きましたがね。先方で、一〇〇万円と言うんです。私は買うとしても三万円ですね。思し召しがあったら買ってくれと言うんです。だから、君こういうものを他のお得意に売ったら、信用にかかわるから止したほうが良いと言うと、いやそうですか、そうしましょうと言っていた。いま、ずいぶん贋物を持ってきますからね。それで高いんです。何十万とする。ところが、私が財産税などで買ったものは、安くって本物なんです。ですから、どんなものでも三倍にはなってますね。三倍から五倍、二〇倍になっているのもあります。これは、神様がうまくやってくれたわけですね。それで、第一値段にかかわらず、もうないんですよ。ぜんぜん売り物にないんです。というのは、近ごろになってみんな……財閥やなにかが、復活の兆が見えてきたですね。だから、むしろ先のほうで、あわよくば買おうという気になってきた。それから知人や友人に売ると言うと、友達同士で買っちゃう。道具屋の手を経ないですね。そういう状態になってきたから、いま美術館を造って、品物を集めようと思っても、まず難しいんですね。で、その当時買ったものは、絵なら光琳とか宗達、光悦、乾山……そういうものは、私は好きですから、そういうものを狙いましたがね。陶器では仁清、乾山、鍋島という……ああいうものですね。それから、仏画ですね。浮世絵、東山時代の墨絵ですね。そういうものを多く狙いましたが、その狙いがみんな当たっているんですね。仏画なんか……曼陀羅という……細かくなっているのがありますが、その当時五、六万で買ったが、いまは五〇万くらいですね。私は、なぜ買ったかというと、あんまり安いんでもったいないんです。細かく画いてあって、いま画かしたらたいへんです。鎌倉時代ですがね。鎌倉の末で、足利時代、古いので藤原時代ですね。絵の具を使って、金やいろいろ使って画いてあるが、それが五、六万ですからね。あんまり細かく画いてあるんで、もったいなくて買ったが、それが値打ちが出てきた。この間も、銀座の東洋美術で、仏画の展覧会があった。これは博物館にも出したが、私は良く知っているので、一遍来てくれというので、行ったんですが……その中で、一つ良いと思うのがあった。阿弥陀さんの掛物でね。これなら買っても良いと思って、いくらだと言うと、八〇万と言う。前で言うと、一〇万か二〇万ですね……高くてね。それが八〇万と言う、そんなに高くなっている。ですから、金儲けから言っても、ずいぶん……なんて言うか、金儲け上手いと言いますかね。かえって、物というのは、儲けようと思うと儲からない。儲けようと思わないと儲かる。やっぱり逆ですね。だから……私は熱海の地所ですね。それをちょいちょい買いましたが、いまみんな相場が上がって、どこを売っても儲かりますがね。それが、不思議にみんな安く買った。いまの地上天国なんか、一番最初は七〇〇〇坪買ったんですが、七〇〇〇坪がたしか二十何万円ですがね。坪にして二五円くらいなものでしたね。あれが、終戦の翌年でしたか、終戦の暮れでしたがね……もっとも、あそこは、見せに連れて行かれて、見て五分で決めたんですからね。ですから、あれは神様がしたんですね。これだ。と、すぐ思ったんですからね。先でもびっくりしたんですよ。その隣りがまた非常に景色が良いんですよ。ちょうど展望台のできる所ですがね。あそこはぜひなければならない。売ってくれと言うと、売っても良いと言う、三〇〇〇坪くらいで、坪六〇円でしたが、わずか半年足らずで、倍以上ですから、高くなったと思ったんですが、それから美術館のできる所を買ったが、たしか九〇円でしたがね。高いと思って買ったんです。そんなようで、だいたいの中心は安く買ったんです。後は継ぎ足しで、部分部分ですから、坪数も少ないしね。今日では坪四〇〇〇円くらいするでしょうね。ですから、約一〇倍以上になってますね。一〇倍から二〇倍になってます。また私が買った所は、みんな急所みたいになっている。今度「駿豆鉄道」がケーブルを作りますが、瑞泉郷の観山亭のある所で……市長を介して交渉しましたが、つっぱねて駄目でしたが、先で、私のほうの端を通るようにして……端のほうを通るので、いずれ先で言ってくるでしょうが、つっぱねようと思ってね。これは先では非常に欲しがっているんですからね。売ればずいぶん儲かるんです。これが三万坪ありますからね。また、不思議に馬鹿に安く手に入った。そこで、いずれあそこはすばらしい計画があるんですからね。それだとか、西山にも、温泉の湧いた地所がある。だから、熱海のある有力者ですが、実際先生の持っている所は、実に不思議だ。どこでも、急所急所を持つなんて……市長なんかも驚いているんですよ。実にうまい所をお買いになった。それが、いくつもそういう所がありますからね。最近も神秘的にすばらしい所が入りましたが、これはいずれ発表します。ところが、みんな割合安く入るのでね。思ったよりかはうまくいくんですね。まるで、金儲けの話みたいになったがね。一つ「結核は感染しない」というのを、昨日書いたんですが、この前読んだ『結核信仰療法』という……この前読んだ、次の項目のなんです。これは、この前読んだそうですが、しまいのほうが直ってますからね。

(御論文「結核は感染しない」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五五-五七頁〕

「『御教え集』五号、岡田茂吉全集講話篇第五巻」 昭和26年12月28日