昭和二十六年十二月二十五日 『御教え集』五号 (明主様御聖誕祭)(4) 

(御論文「絶対力」朗読)〔「著述篇」第一〇巻三三七-三四〇頁〕

御教え 今日はクリスマスで、世界中がなかなか大騒ぎをしている……さっき、ローマのバチカン宮殿から、鐘の音だとか、音楽だとか、法王ですね……あの人の言葉やなんかも、放送されましたがね。まあ……たいへんなわけのものですね。しかし、キリストのやった仕事は、二〇〇〇年経っても、ともかく人類の魂の堕落を、ある程度食い止めていたことは、たしかなんですが、まあ……大いに誉め称えても良いんですが、いま読んだように力が足りなかったんですね。だからといっても、別に腕力や暴力じゃないんですが……見えざる力ですね。それが足りなかったということは、時期がそこまで行ってなかったんです。で、その時期というのは、文化ですね。文化が、キリストの生まれた時分は、幼稚なもので、とても今日のような、国際的あるいは世界的にまでなっていなかった。だから、あの時分に天国や五六七の世を造ろうと思ったって、まあ……造れたとしても、それは本当のものはできなかったんですね。物質文化が幼稚であったために、天国のような結構な世界はできなかった。ところがいまはですね。いまの物質文化を見れば……一言しゃべれば世界中、隅々まで聞こえるんですからね。立派に天国の条件ができたんですね。それに対して、それをできあがらせる力ですね。その力が、いま言ったように、経緯結んだ力ですね。いま読んだ通り、結びの力ですね。この結びの力が絶対力というわけですね。キリストの十字架ですね……これもそのことなんです。その予言ですね。それから、仏教の卍ですね……Ζも十字ですね。ですから、力という字は、Ζを略したものですね。Ζは結ぶと鍵の手がある。鍵になっている。これは、ぐるぐるまわる形ですからね。いままではこう(卍)いうΖになっている。世間では、本当のΖと言っているが、われわれからは、逆Ζになる。仏教は月の教えですから、水になる。右進左退になる。本当は左進右退にならなければならない。これ(卍)じゃいけない。いままでは右進左退になっている。まったく良くできているんですよ……文字はね。ですから、文字と言霊で解釈すると、たいていなことは分かるんです。神秘が分かるんですね。そこで、いま言ったような力というのは、その結んだ力ですね。それを私が神様から与えられているんです。だから、御守りを懐に入れると病気が治るということは、それだけ発揮できる力ですね。だから、昔からのことを、良く考えてみると、実に良くできている。とともに、良く理屈に合っているわけですね。それで、キリストは……「再臨のキリスト」ということも、予言されてますがね。これは黄金の国ですね。つまり日本ですね。黄金の国に再臨するということになっている。

 いま言っているキリストは、イエスですね。イエスとキリストは違うんですがね。これは、以前も言ったことがあるが、言霊で解釈すると分かる。「キ」というのは神ということです。「キ」という言霊は、霊体を結んである言霊なんです。「カミ」の言霊返しは「キ」になっている。神は火水ですからね。火と水が結んで「キ」になるんですからね。だから「キ」というのは、一番貴いんです。天皇のことを「キミ」と言うが、貴いんですね。貴いという字も、「キ」と読みますね。「リ」というのは、これは字で書くと、二つになるんですね。霊体ということなんです。霊体が経に働くという言霊で、言霊で言うと「リ」は「ル」で、渦巻く意味です。渦巻くという意味は、拡がると世界的になる。「ス」というのは一人ですからね。それから、「ス」というのは、統べる……イロハで言うと、一番最後につく……神様が作ったんですね。「ト」は人というんです。ですから、キリストというのは、いま言ったような意味ですから、イエスとは違うんです。キリストはイエスが出るよほど前に出ているんだから、再臨するというのは、その方が再臨するというんですね。イエスは、ヨセフとマリアの二人の間にできた子供です。聖霊に感じて身篭もったというのは作り事なんです。そんな馬鹿なことはないんです。ですから、いままではキリストでもお釈迦さんでも、力がなかったですね。要するに、両方結ばったんじゃないから……一方的だから力がない。そこで、キリストはなるほど奇蹟をやられた……ということは『聖書』にありますけれども、いまメシヤ教の信者がやっている奇蹟は、キリストと同じくらいなものですよ。昨夜か、「奇蹟座談会」の報告がありましたが……読んでみましたけれども……あれは生和会かのですが、まるで……みんなの奇蹟が、ちょうどキリストがやっているのと同じですよ。そこに、やっぱり力の発揮が……キリスト一人だったんだからね。弟子がそういう奇蹟を行なう者はなかったんですからね。だから、メシヤ教と較べてみれば、そのくらいの異いさがあるんですね。いま、力の話をしましたけれども、この力というのが、つまり一厘の力というんです。つまり、世界が、……あらゆるものが行き詰まって、九分九厘になった。そこで、一厘の力ですね……力が現われて、そうして、大転換ですね。ひっくり返しちゃう。この九分九厘と一厘というのを読ませます。

「『御教え集』五号、岡田茂吉全集講話篇第五巻」 昭和26年12月25日