昭和二十六年十二月八日  『御教え集』五号 (7) 

御伺い T・S(四二歳)昭和六年五月満州にて流行性脳脊髄膜炎で入院し、七年五月ごろより松葉杖で歩行でき、九年春、歩行もふつうになりましたが、一七年ごろより再発し、電気マッサージ、ペニシリン四〇本いたしましたが、立つことができません。家業は写真屋でございます。御浄霊を頼まれ、七〇回ほどさせていただきましたが、たいして変化もございません。本人も家族も信仰心がございません。一週間ほど前に近所からいただいたリンゴに「優曇華の花」が咲いておりました。三、四年前にもそういうことがあり、母が中風ですぐ死んだそうで、たいへん心配しておりまして、天津祝詞と善言讃詞を奏上いたしました。御浄霊の箇所および「優曇華の花」につき御教示賜りたくお願い申し上げます。

御垂示 信仰心がない……これはいけませんね。こういう考え方はね。七〇回もやって、信仰心が起らないような人間なら止したほうが良いですよ。これは、いくらやっても駄目ですよ。最初はだれも信仰心がなくても良いですがね。これだけ行くうちには、神様の話もしたでしょうが、これだけやってもこういうのは……そういうことに無駄骨折るのは、神様に対してもったいないですよ。だから止めたほうが良いですよ。もう一つは、御神書……新聞とか雑誌とか……読まして、そうして信仰心の起らないのは、ほったらかして良いですよ。あれを読んで、少しも信仰心が起らないのは、要するに頭脳が麻痺しているんだから……あれを読めば解るように書いてあるんだから、そいつに心が動かないようだったら駄目ですね。そうかといって、ぜんぜん駄目ではない場合もある。時節がある。ああこれだなと言ってくることがありますからね。読ませるだけは必要ですから、そこで、感じないような人は、まずほったらかしておくというほうが能率的ですよ。こんなに……七〇回も行ってやるということは、能率的でない。無駄骨というわけですから、かえってもったいないですよ。

「『御教え集』五号、岡田茂吉全集講話篇第五巻」 昭和26年12月08日