昭和二十六年十二月六日 『御垂示録』五号 (9)

〔 質問者 〕鳥取県のS村という漁村で……以前に、入信すると漁が少なくなるということでお伺い申し上げましたところでございますが、直径三尺の死んだ男亀が網にかかり、その後同じ大きさの女亀が浜に打ち上げられておりました。それを山に埋めて「お亀さん」と言って、お参りしておりますが、なにか意味がございましょうか。死んだ亀が捉まるというのは、初めてだそうでございます。

 女亀は妻君だね。よほど神秘があるんだね。それは、海の神様が……事代主尊という、金毘羅さんですね。その眷族ですよ。やはり働きたいんですね。肉体があっちゃ働けないから、霊になって働きたいんですね。人間ですよ。人間が生まれ変わって亀になっていた。事代主尊だって、昔は人間だったからね。大いに働くから、これからはそこも開けますよ。いまはそこまで行っていないが、神様も一日増しにメシヤ教のために働くということになって、いまに総動員になる。神様が、メシヤ教でなくちゃ救われないんだからね。だから、今度『地上天国』に出すが、私が京都に行ったとき、ほうぼうの神様が御挨拶に来たり……いろいろしたが……そういうようなもので、神様が救われなければね。というのは、その神様と言うが、それを支配している神様があって、その神様が、位が低かったり、あるいは邪神のほうの系統になったりしてね。だから、罪の裁きを受けなければならないから、早く最高の神様に御用をして救われたいと、こういうわけだからね。だけどやっぱり、そういった人間が間違ったことしたり、知らないで……良いことと思って悪いことをやったりするというのも、いままではやはり必要があったんだからね。一番おもしろいのは、世界の二大潮流としては、アメリカの資本主義と、ソ連の共産主義ですね。どっちも反対のものだがね。つまり資本主義ができるから共産主義ができるんだね。つまり資本主義は、共産主義が作ったものです。だから、封建主義が人民の自由を奪うからして自由主義ができる……こういうことになる。善というものは、悪が生むようなものなんですね。生むというよりも、悪があるから善がある。だから、善悪というものは、人類がある限りあるんですよ。しかたがないが、いままで悪のほうが力がありすぎた……勝ちすぎた。善のほうが圧迫されたり、苦しまされた。そこで不幸というものが生まれる。五六七になると、善のほうが強くなって、悪のほうはある程度以上はできなくなる。そこで、幸福の世界になる。人間だってそうですよ。仏さんのような人なんて、初めからありませんし、もしあるとすれば、なんにもならない。「沈香も焚かず屁もひらず」というみたいになる。つまり、悪を抑える善の力が強ければ、立派な人間です。仏教のほうじゃ、生き物を殺すのは、すべて殺生だからと言うんで、地べたを歩くと蟻を殺すから、地べたも歩くことができないということになっちゃう。それから、いまでもアジアの……東南アジア辺りは、フイフイ教辺りは、ずいぶんそういうやり方ですね。こういうのは、つまり善が無抵抗主義になるんですね。
  

〔 質問者 〕その場合、ちょっと見は良いように見えますので。

 そうです。それはたしかに良いですよね。良いけれども、結局滅びたり悪が跋扈したりするからね。このごろインドなんか、気がついてきたんで、だいぶやり方が変わってきたがね。あくまで、善のほうが勝つという……抑えつける力があるということが本当なんですね。そこで、やはり十字になるんですよ。経は善ですからね。緯のほうが悪ですね。どっちに偏ってもいけない。で、つまり経のほうが緯よりかちょっと長ければね。それで、同じでも霊のほうが勝つ……霊主体従だからね……原則になっているから、それで良いには良いがね。それで、私はいつか男女同権論ではいけない。男女合権論と書いたが、そこで男が五分五厘で、女は四分五厘ですね。人間の簡単なことはそれで良いが、本当の大きなことからいうと九分九厘……神は一厘になっている。悪のほうが一厘でも勝つとすれば、世界は崩壊している。そこで九分九厘と一厘……あるいは神は十全とね。だから、大本教のお筆先に「大本は一厘の仕組であるから、一厘の御魂が出たら世界はひっくり返るぞよ」というのがある。一厘で、手の平を返す。で、一厘というのは、つまり私なんですよ。これは先にも話したことがあるが、ある人から古銭……天保銭を一枚、五〇銭銀貨、昔の一厘銭を一枚と、三つもらったことがある。天保銭は年号は書いてありませんが……大本教の教祖というのは天保年間に生まれた人で、聖師様は明治四年に生まれた。そうすると、五〇銭銀貨というのは、明治四年なんです。私は一厘だから一厘銭をもらった。そのとき神様は、おもしろいことを知らされたと思った。だから、大本教の教祖は経の御魂……変性男子でね。変性女子は聖師様で、聖師様は緯の御魂であるからとね。経と緯を結んで、真ん中のポチだね。つまり心棒みたいなものが一厘になるわけです。で、一厘で手の平を返すと言うのは……私がやっていることは、一厘で手の平を返すことになる。いままでのあらゆる間違った文化ですね……それをはっきりさせるために……ひっくり返っちゃう。ただ、理屈だけじゃ駄目だから病気は薬をなくして治して健康にしてしまう。それから、食糧でも……作物でも、肥料を使わないで増産する。農業をひっくり返しちゃう。それから、犯罪は魂さえ神様と繋がれば犯罪はなくなる。と、みんな一厘でひっくり返すという意味になるんだね。夜の救いが昼の救いになる。つまり、暗が昼間になるというわけですね。神様のほうは、そういうふうに決まっているんだからね。そういうことも『文明の創造』に書いてある。いま『文明の創造』の「天国篇」というのを書き始めてね。最初の所を時間があったら読ませるつもりだったが、これは非常におもしろいんです。今日読ませようと思ったのは、国際関係とか議会とかね。そういうものの変わり方ですね。しかし、なにしろ非常な大変わりですからね。ただこのままで行くなんて、そんな生易しいことじゃ、手の平をひっくり返すなんてできない。つまりいままでのやり方では、二致も三致も行かなくなるんですね。病気なんかも非常に増えて、これはいま信者の人でも、古い人でも、幹部の人でも非常に浄化が起るがね。それが世の中に……一般にそうなってくるね。医学で……医者が治そうとすると、逆になってくるから、いよいよいけないということになる。メシヤ教にすがらなければ助からない……病気は治らないということがだんだん分かってくる。そこで、一遍にひっくり返っちゃう。浄化を止めよう止めようと努めている。浄化が起ると、熱が出て、注射やいろんなことで浄化を止めているので……わずかに肩でフラフラしてね。この間新聞にあったでしょう。一時病気を止めている、そのあとが脅い、とね。今度出るがB・C・Gで一時浄化が止まるから、それで良いと思っているが、今度は、それで止まらなかった悪質な病気がうんと増えると書いてます。なにしろ、私が書いた通りに、だんだん出てくるから……大本教のお筆先に「神の申した事は一分一厘も違いはないぞよ。髪の毛筋の横幅程も違いないから……」ということがありました。

「『御垂示録』五号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年12月06日