昭和二十六年十二月六日 『御垂示録』五号 (8)

〔 質問者 〕諏訪のほうでは、有肥で一三俵くらい穫れるのがあり、肥料によって穫れたということを思わせるようで、しかし米撰器落ちという、小米が非常に出て結局は同じでございます。

 あらゆるものはそうなんです。ちょうど、麻薬中毒みたいなもので、最初は麻薬をやると、良い気持ちになり元気が出るので、それで一杯食っちゃう。それと同じで、硫安なら硫安をやると一時はギュッと出る。それで、これに限ると思っているが、駄目になる。いままでの文化というのは、最初は良いんです。それに迷わされると、だんだん駄目になる。こっちの自然栽培というのは、最初は良くないが、だんだん良くなる。熱冷ましも、最初は良いでしょう。それで、熱冷ましをやるものと思うがだんだん悪くなる。肥料もそれと同じ理屈です。いま私が書いているのに「抑えつけ文化」というのを書いてますがね。なんでも抑えつけですね。悪いことをするのに、取り締まりとか、法律でやっつける。当分できないが、今度はもっとうまくやろう。いままでは下手だったから知れたので、今度は知れないようにうまくやろうというように、だんだん進んで行きますね。いま、役人の汚職事件をやってますが、しかし現われたものだけを抑えつけようというやり方ですね。だから、抑えつけ文化ですね。理屈は簡単に解るようなものだが、簡単に解らないというのは、非常に強い迷信にかかってますね。学校で迷信教育しているようなものだね。

「『御垂示録』五号、19511225、19511206、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年12月06日