〔 質問者 〕藁を堆肥にする場合、土と草と藁を交互に置き、下肥とか風呂の水を使いますが、そういうのをかけないで腐らせたほうは。
それが堆肥ですよ。クソをぶっかけるのは堆肥じゃないですよ。だから、田舎の人はクソをぶっかけるのが堆肥と思っている。どうも良くできないというのを聞いてみると、クソをぶっかけている。だから、できるだけ清浄にとあるでしょう。馬のクソとかやるが、なにもやらない……純粋のだと、とても良い。考えがあべこべなんです。肥料迷信ですね。クソをぶっかけたり……いろいろしなければ、物ができないような……そんなくだらない土ですね。そんなつまらない土に、神様が作るわけがない。薬を入れるほうが丈夫というようなね。たいへんな迷信です。ぜんぜん、頭がひっくり返っている。切り変えどころじゃない。よく、堆肥は何貫目入れたとか言って……堆肥が肥料になって、それで良くできると思っているが、あれがたいへんなものです。土をたいへんに軽く見ている。土を軽蔑するんですよ。神様が作ったものだから……人間の分際で、神様を軽蔑するようなもので、神様に対する反逆です。神様が作ったものは尊ばなければ……感謝しなければね。
〔 質問者 〕無肥三年目で、苗代のとき腐り。
まだ肥料が残っているんです。
〔 質問者 〕収穫も半分以上腐っておりました。しかし近所並でございました。
それは、みんな肥毒が残っている。肥毒がぜんぜんなければ、腐るなんて絶対にない。たいへんな間違った教育をされちゃったわけですね。
「『御垂示録』五号、19511225、19511206、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年12月06日