昭和二十六年十一月二十五日 地天30 「教えの光」(5)

--私は一三年前、円導一心会と称する宗教団体によって仏に帰依し、本年八月本教に入信まで、その説くところの「南無阿弥陀仏」で仏前回向、日想観(太陽に向かい合掌瞑目し「南無阿弥陀仏」を一〇遍唱え、呼気して徐々に開眼し、太陽をみつめるとまばゆくなく、周辺一帯の空に黄金色を拝する)、水想観(日想観と大同小異)をしてまいりましたが、天津祝詞、善言讃詞で日月を拝することは支障ありませんでしょうか、お伺い申し上げます。

 拝むべき神様の祀ってない場合はそれでもいいが、本教では光明如来様をお祀りしてあるのだから、それを拝んでいればいいのである。光明如来様は日と月の両方のお力を具えていられるからである。だいたい、太陽を拝むのは原始人の自然崇拝のやり方であるから、今日の文化人としたら相応しないわけである。廃めたほうがいい、この人は御神書の読み方が足りないため、本教の本義が分からないからであるから、御神書をできるだけ読んで、身魂を磨くようにしなさい。

「『地上天国』三十号、岡田茂吉全集講話篇第五巻」 昭和26年11月25日