昭和二十六年十一月一日  『御教え集』四号 (4)

御教え 今度京都に行ったのは、だいたい主な目的は、美術館についていろいろ参考になる点がありますから、それで京都に行ったわけですからね。で、京都に大徳寺だとか東福寺だとか行って見ましたが、多少参考になりましたが、なにしろああいう所は、仏教芸術ですからね。仏教芸術というより、お寺芸術ですからね。お経だとかね。東福寺なんかは、宋時代に偉いお坊さんが書いたお経ですが、これは美術館向きにはならないですね。それから、東福寺は兆殿司があそこの寺にいて書いた、兆殿司のものが大部分でしたが、かなり上手いけれども、たいしたことはない。今度すっかり分かりましたがね。それから大徳寺の本尊ですね。その宝物をなにしていたが……真珠庵という……そういうものが一番ある寺です。末寺ですが、それを見ましたが、たいしたものはないですね。大徳寺なんか、ちょっといかがわしいものが多いです。やっぱり、本物は傷んだりするから、しまってあるだろうと思う。だから、出してあるのは、いかがわしいのがチョイチョイあるんです。ちょっとふつうに見ては分かりませんがね。例えてみれば、巨勢金岡の画いた観音さんがあるが、私の所にもあるが、私の所のは本物です。同じような絵ですが、私のほうが古いですからね。大徳寺のほうは、時代が新しいです。同じようには画いてありますが、品格と味がないです。そんなようなものです。その他にも二、三ありました。それで良いんだろうと思いますね。そう、良いものを始終一般に見せるというのは、傷んだりしますからね。おもしろいことには、本尊ですが……坊さんが、お釈迦さんだと言うんです。これは観音さんだと言っても、いいやお釈迦さんだと言う。禅宗ですからお釈迦さんは祀らないのが本当です。禅宗は達磨ですから反対になるんです。達磨と観音さんは祀っても良いんですが、お釈迦さんは祀らないんです。あそこは観音さんを祀ってあるので、なるほどと思いました。京都の博物館は、支那陶器のちょっと良いものがありました。絵も二、三私が見たいと思うものがありました。それから大阪の博物館も、また行ったんですが、銅器の良いものが出てました。館長になっている人が、いろいろ説明してくれましたが、大いに得るところがあったわけですね。そんなわけで、だいたい京都における美術的なものは今度でだいたい分かったわけです。今度私が造る美術館についても、参考にはなりました。ところで近ごろ、古い美術ですが、非常に世の中の人が関心を持ち始め、流行みたいになってきましたが……どこに行ってそういう美術なんて見ても……仮に、京都にしても、仏教的な仏画だとか、立派なものがありますが、あれじゃ一般人が見ても興味がないわけですね。お釈迦さん、観音さん、文殊菩薩。藤原時代だとか、天平だとか言っても、よほど研究してないと分からないです。美的に、ああ美しいなというのは、分からないと思います。感心しないです。ところが、日本では古美術です。古美術というと、京都ではお寺ですね。ああいう所になっている。しかし、私が造る美術館はそういう意味ではない。京都を歩いても、光琳とか宗達とかほとんどお目にかかることはできないですね。京都でさかんに活躍した芸術家ですからね。そういうものはほとんど京都にないせいもあるでしょうが。ほとんど見ることができない。仏画以外としては、狩野派ですね。探慶、雅信だとかです。そういう人たちの絵は、あまり価値がない。というのは、狩野派の絵というのは、支那人から習ったんですからね。支那の宋、元時代のものをお手本として習ったんですから、支那以上のものは出てないんです。ところが、琳派ですね。光琳というのは、勿論支那にもないし日本独特のものですね。こういうものを、大いに見せなければならない。それから陶器と言っても博物館にも立派なすばらしいものがありますが、全部支那のです。日本だってすばらしいのがあります。仁清、乾山というのは、それはもう支那に決して負けないようなものですね。あとは、尾張の瀬戸の系統ですね。黄瀬戸とか織部とか……そういうので、なかなか良いものがある。

 そういった日本でできた日本美術の良いものは、ほとんど目に触れることがないですね。わずかに東京の博物館にあるだけだそうですね。そういう良いものを、今度できた美術館に並べる心算りですがね。そういう良いものは、どこにあるかということは、ほとんど決まっているようなものですね。だから、それを上手く聞き出して、承諾を得れば良いわけです。それも、うまくやりつつあるから、日本のどこにもないような美術品を並べられると思います。ずいぶん問題になると思いますがね。

「『御教え集』四号、岡田茂吉全集講話篇第五巻」 昭和26年11月01日