(御論文「仏教に於ける大乗小乗」朗読)〔「著述篇」第一〇巻三〇一-三〇四頁〕
御教え この仏教などに、よく「自力と他力」ということを言いますが、いま書いたように小乗仏教が自力なんで、大乗仏教が他力というわけですから、日蓮宗の人なんか、非常に熱心で、カンカンになって……あまり熱心になると気違いじみたようになってきますね。これは霊に偏るためですね。それから、他力のほうは南無阿弥陀仏を称えていれば、救われる……阿弥陀さんの側に行ける。と、ぜんぜん自分の力というのを無視して、ただ、阿弥陀さんに頼るという精神一点張りなんですね。仏教のうちでも、どっちかに偏っているんですね。だから、どうしても……つまり伊都能売式にはなっていなかった。そういうことは知らなかったんですね。それで、そういうことを、仏教のほうでは同じように思っていて、禅宗なんかいま言う通り、仏教よりバラモン教なんです。それを知らなかったんですね。だから、仏教が堕落したという……どうしても、いまの坊さんはいけないと言うが、禅宗の坊さんは割合にそうではないですね。今日でも割合修行がやかましくて、禅宗寺なんかは、実に坊さんの修行なんかは……粗衣粗食で、いまから言うと、カロリーもなにもないようなものを食べている。冬でもタビもはかず、中には火にあたらないのもいる。そうして修行している。これは純然たるバラモンのやり方で、仏教のやり方ではない。
墨染めの衣……あれは非常に良い感じがしてね。洋服に袈裟かけている坊さんより見良いですね。洋服に袈裟というのは、あまり見てが良くないです。まったく禅宗の坊さんはある程度偉いところがあるんですね。いまも書いてある通り、禅宗の坊さんの書いた書ですが、実に良いところがある。書はたいして上手くなくても、それから受ける感じが、邪念……そういうところがなく気持ちが良いですね。以前にはそう関心持たなかったが、近来いろいろ研究してみるとなかなか値打ちがありますね。いまの美術館ができたら、そういうものも集めるつもりですがね。だいたい書の良いものは日本では大徳寺ですね。あの代々ですね。今度京都に行ったら、大徳寺の真珠庵という、大徳寺末寺ですが、大燈の書かれたものがあるので、そこに行ってみたいと思っている。官休庵というお茶の先生が懇意にしている。なかなかやかましくて、ふつうは見られないそうですが、今度見せてくれるそうです。昔の通りで、二階に上がるのに猿梯子だそうです。危ないくらいだそうです。まっすぐになっていてね。それも昔の通りで変えないんですね。そこに大燈国師の書が一番あるそうです。そんなわけで、なかなかいまでも禅宗はちょっとおもしろいところがあるそうですね。この前京都に行ったとき、大徳寺であそこに茶碗で日本一の喜左衛門井戸というのがあり、見せてもらったが、別に変わった茶碗でなかったが、有名な茶碗です。そこに行った。お寺の生活状態を見ると実に質素で床しい感じがしたね。