昭和二十六年十月一日 『御垂示録』三号 (1)

〔 質問者 〕浄霊のことにつきましてお伺い申し上げます。前には、御開示いただきまして一人対一人というのが原則でございましたが。

 あのときはね。
  

〔 質問者 〕浄化が非常に激しいのをいただきました時分に、何人もでやっておりますのは。

 時が進むので……年中一つではない。時が進むに従って違います。その時に合ったやり方でやると良い。そんなに窮屈にきめなくても良いです。臨機応変で良い。

 この人にはこう言うが、この人にはまた違う。それを、この人に言われた通りにするから具合が悪い。よくあります。そういう点は考えなければならないことですね。つまり、メシヤ教というのは、わずかの間で大きな仕事をするので、変わり方が非常に早い。この点が他の宗教と違いますね。名前が違うし……浄霊法とか、御守りが変わるが、わずかの間に進むんですね。一〇〇〇年かかるものが一〇年くらいです。もっと早いですね。私が昭和一九年に熱海に来て、二〇年に終戦になって、二二年から宗教法人になった。それから三、四、五、六……今年で、宗教法人になってから四年です。それで、箱根から熱海にのびた。これは少し前からだが戦争中はしようがなかったからね。終戦になって、二二年からですね。それだけでほとんど画期的でしょう。世の人はびっくりする。とにかく非常に早いです。もっと早くなるんです。もっと大きくなる。これから二、三年も経ったらどんなになるかは見当がつかない。毎日を較べてみるとびっくりするほど発展している。その間は、官憲だとか新聞だとかに、なぐられたり、縛られたり、そういう中を……押さえつけられながらもやっているのはたいへんなものです。新宗教じゃ、西のほうは天理教で、東のほうはメシヤ教ですね。天理教は、もう百年教ですからね。こっちは、天理教祖が亡くなってから、一〇年くらいですね。天理教祖が始めたのは、明治四八年ですか……最初からみれば、百四、五十年経っている。こっちは最初やったのが昭和九年で、一七年かになる。それで、天理教とならび称せられるようになった。早いですよ。これからは、もっと早くなる。追い越して、こっちがずっといく。いままでに例がないでしょう。来年からは、実に早いですよ。

 鎌倉の長谷の観音さんですが……三丈三寸ですかね。観音さんは小さいほうが良い。一寸八分が本当です。それを三丈三寸なんてね。結局ね……計画はいろいろあるが、金なんです。金さえあれば大飛躍ができる。インテリ階級へも思いきってできる。だいぶインテリの方が注目しているんです。いま来た人の話ですが、著名文士が一〇名ばかりで、なにか発行したらと言う。小島政次郎、里見・、川端康成、徳川夢声、吉川英治……とにかく、かれこれ一〇人ばかりで、なにか発行しようと言う話がある。この間、川端康成が箱根にしばらく滞在していたが、もっと興味のあるもの……一般的にね。そういうものを編集したら良いだろうと言う。先の「光新聞社」の小坂もそういった意味の新聞を出したら良いだろうと言っていた。その人は本当のことを知らないからです。一般向きのに、宗教の匂いがするとそれに関心を持たないからね。これは何々宗教の宣伝だと思うとね。また信者のほうは、世間向きのことを書いてあると、そんなのはつまらないとなる。どっちかにはっきりしてないと駄目です。信者か、一般向きにかね。良さそうでも、事実は駄目です。そういうのが、いままでにありますが、成功したのはないですね……駄目です。大本教に、『大正日々新聞』というのがあったが、やっぱり駄目でした。ですからなかなか難しい。算盤を取らなければ良いんですが、こっちは算盤を取らずにやるほど、まだ余裕がない。

 山のほうがだいぶ確信が出てきましたから、来年はそのほうで金が入るが、今年いっぱいは苦しい。なにしろ、美術品を買わなければならないし、造営から美術館。美術品なんかも、二つとない……出ないようなものがあるから、どうしても買わなければならない。そうかと言って、金のほうが足りない。とすると……いまはうまく押さえているが、本当は金です。もうだいたい山のほうは確信できるほどにしました……やっぱり、神様が前から準備されていて、奇蹟でうまくいくんです。水上のほうで宿舎が足りなかったが、東京の人で疎開のために建てたのが、いくらででも処分したいと言うのです。一一七坪かで、宅地が二〇坪です。それで七、八万円です。七万か、七万五〇〇〇に負けるだろう。一週間ばかり手入れすれば住めるだろうと言うんです。こういうのなんか奇蹟です。熱海の建築を早くやらなければならないしね。神様は良い具合にやりますよ。

 今度ケーブルができる山があるでしょう。半分くらいに低くしてケーブルの駅になるそうです。私のほうで売らないので、庶民住宅のほうに行くらしい。裏手のほうに行くらしい。私のほうは、値にかかわらず欲しいのです。あそこを温泉場にして、箱根登山の客があそこに行きますからね。私はあそこを理想的な温泉場にしたい。相の山と言う山がありますね。あそこにホテルを造る。あそこを宿屋にして……日本一の宿屋を造る。そして、ごく清潔にですね……変な女は置かない……つまり、温泉天国と言うんですか……だいたい信者ですがね。温泉は、こうこしらえるものだ。というようなものを造る。あの地形から言えば、理想的なものです。

「『御垂示録』三号、岡田茂吉全集講話篇第四巻p181」 昭和26年10月01日