〔 質問者 〕すべて職業に従事しているときの服装のほうが美しく見えるということは、職業に尽くしていると言うことがそうさせるのでしょうか。
やはり、仕事をまじめに……誠でやっているのは美しく見えます。また怠けたり、仕事を第二、第三にするのは美しく見えないですね。私はバスの車掌なんかで、とても美しく見えることがあります。かえってお嬢さんが座っているより美しく見えるのがあります。お嬢さんなんかは、始終怠けているでしょう。享楽的考えばかりでね。まじめでないね。だから上辺だけ美しくしていて、感じがないですね。片っ方は生活のために一生懸命やっているという、その美しさでしょうね。バスに乗っている娘より女車掌に魅力があるね。
〔 質問者 〕神様が心を引かれるくらいですから、人間はなおさら。
人間はどうか分かりませんよ。私は車掌に限らず、つまらない服装した百姓の娘とか……そういうものに、非常に心を引かれますね。非常に愛したいような気持ちがしますね。銀座通りを歩いている……爪を染めているようなのは……棘々しく不快を感じます。あれは、やっぱり霊主体従と体主霊従の違い差ですね。一般の人は体を主にするからね。
美術品もそうです。いろいろ手間をかけたり、したりするが、ちっとも見たくない。昔の、一筆か二筆のものがかえって魅力がある。二、三日前に妻の友達ですが、その人は画きすぎるんです。この前、竹薮を画いて、それから苔寺の苔を画いたが、画面いっぱいに画くのは駄目です。職人が美術をやるようなんです。一筆か二筆画いて、画面いっぱいに画いてあるような感じを出す。というそこに芸術がある。写生でも……画面いっぱいに画くが、そうしないで簡略に画いて、自然よりもいっそう感じを出す。その点が芸術です。だからしゃべるのもそうです。ぺらぺらしゃべるだけで人が動くものではないんです。一言か二言で先方にしみ込む……刺激を与える。だからその点ですね。