昭和二十六年八月一日 『御垂示録』一号(6)

〔 質問者 〕御守り様を袋にお入れしますとき、反対にお入れしまして戒告をいただきましたのがございます。自分で袋の洗濯をいたしまして、反対にお入れしてありましたので、戒告を受け、浄化をいただき、ふと、それに気がつきお変えしましたら、すぐ治りました。

 神様は几帳面ですからね。それが法と言うものです。ですから、法は順序ですね。ですから〇〇さんは注意しなければならない。あなたは、出し抜けに来て、お目にかかりたいと言う。あれはいけない。自分の御都合になる。昨日来たけれど、今日は面会日なんだから、今日の面会が主なんだから、面会がすんだら会うと言った。今朝も来たのでそう言った。と言うのは、今日は面会が主だからね。そうすると、あなたの個人のほうが上になる。そういう、順序が狂っている。それが、一つの法なんですね。だから、なんでも神様のほうを先にしなければならない。主と従が、なんでもある。神様のことはなんでも主にしてもらいたい。

 奥さんの友達が私のお膳に来た。昨日も来てはいけないと言ったが。それで、私はサンルームで一人で食べた。と言うのはね、その人は信者ではないから、霊的に言うと低いんですからね。それと一緒にいると、私のほうが穢れて下がる。それが苦しいから、私は別に一人で食べた。そうかと言って、あんまり、捉われるといけない。あなた方は別ですよ。臨機応変にやる。だから、心得るということは必要です。私は、道具なんか見に行く場合、相手が信者でないからね、信者と未信者では、こっちの見方、扱い方が違うわけです。

「『御垂示録』一号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年08月01日