昭和二十六年八月一日 『御垂示録』一号(3)

〔 質問者 〕熊本県の八代に高田焼という青磁がありましたが、その茶碗で飲んだら、毒が入っていると、お茶の色が変わり、必ず判ると言うので、大名が愛用していたというのが伝説にあるのでございますが。

 それは神秘ですね。おもしろいものですね。ですから、支那のは官窯、民窯というのがありますが、官窯と言うのは、帝室で使うものばかりですが、それは、良いものがありますよ。
 

 〔 質問者 〕京都の乾山と入谷の乾山と聞きましたが。

 陶器というのは、そういうものですね。光悦だって、加賀光悦と、京都の光悦とありますからね。だいたい、乾山は江戸ですね。江戸に一番長くいた。
  

〔 質問者 〕鴬谷の土を取って焼いたそうで。

 そうです。その子孫はずっと続いています。乾山については、学者のほうで非常に意見が対立して論争しているんです。ああいうのは、研究するのは馬鹿馬鹿しいです。私は、このごろは学者の説はまるっきり用いない。馬鹿馬鹿しいからね。私は見ればすぐ判る。品格がある。二代目からは品格というのがない。いまでも、支那の陶器は研究してます。陶器は世界一ですね、支那の陶器は。たいてい、良いものは秀吉が一度は持ってますね。それから徳川に行き、それから各大名に褒美にやったりね。ほとんど、足利義政から信長を経ている。

「『御垂示録』一号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年08月01日