昭和二十六年六月二日 『御垂示録』六号(10)

〔 質問者 〕ちょうど、各地をおまわりいただきましたのは一〇年前と存じますが、あの時分からだんだん発展してきたようでございます。

 だんだん宗教的にね。去年あんなふうでぺちゃんとやられたが。だんだん発展してきた。実に信者さんは多いからね。どこに行っても、実にかたまってね。熱心でね。多勢かたまっていますからね。そうすると、社会の見る目もよほど変わってきますね。もう一息で、メシヤ教を大いに応援するようになる。鶴屋の前には騎馬巡査が出ているので、みんなを警護していると思っていたら、お辞儀をしていたので驚いた。
  

〔 質問者 〕名古屋のほうでも、こちらに来れない信者さんが、どうでもと言って押しかけて、ただ大きな声で、明主様のお車を拝んで「大光明如来様ありがとうございました」と言う声が囂々と聞こえておりました。

 感謝感激の態度が実に現われていますね。
  

〔 質問者 〕最近医者のほうで、難しい患者にはメシヤ教に行けと申しますそうです。

 医者が一生懸命やって治らないですね。病人から苦情言われるんです。「どうしたら良いでしょう」と言うので医者は困っちゃうんです。「じゃ、まあメシヤ教に」と言うのです。「どんなことでもします。なんとか方法はありませんか」と泣きつかれるんで医者は困る。そういう病人になると、医者のほうでなんとか手を切りたいんです。それがメシヤ教に、と言うことになる。……もう一息ですね。本当に良いものだ、と、一つの世論みたいに解ってきたらたいへんです。今月の一五日はたいへんな日ですからね。山のほうが、もう一息になってる。だいたい予定はついてますが。それは本格的にやることになっている。別院とか支部とか、ほとんど積極的にやりますからね。結局、人間の力と場所ですね。家ですね。これは非常に重要なものです。例えてみると、これだけの家を、これだけ広げますね。すると信者がそれだけ広がる。熱海の会館もできると、あれだけ信者が増える。霊界の型ですね。大きくなると、多くなる、ということになる。ここは、土木のほうがもうじきに終わるんです。日光殿は演芸をやる所です……芸能のですね。つまり、地上天国の芸能をやる所です。美術館は来年までにできます。宗教的の本山は日光殿の一〇倍とみていい。一〇倍よりもちょっと大きいかもしれない。一万人収容できるんです。一万坪ですからね。ここだけの……神仙郷が三〇〇〇坪ですからね。ここの三倍ですね。熱海のほうは、もっと大きい所を神様のほうでとってある。これは三万坪ある。あっちのほうは石なんか一つもない。ホーロクを伏せたようにね。楽なものです。行って見ても良いです。つつじ畑になっています。安い時分に買ったので、いまは倍くらいですね。別に探したわけでも、なんでもない。そういうふうになっている。京都もいまにあります。釈迦堂の側に大きな池がありますね。そこでしょう。商売のできる所は高いが、ああいった所は安いでしょう。庭園を造るには平らの所ではできない。ここは山と石ばかりで、熱海も山ばかりですからね、どうしても平らの所は支那風なものですね。支那の国というのは平らですね。日本というものは、京都がシンボルですね。非常に良いけれど、単調ですね。それと、静かだけれど、なんとなく、寂しい感じがしますね。都ホテルの「つつじ」のある所は良い感じがしましたけれどもね。今度、熱海の地上天国も、山全部「つつじ」にしようと思っている。あれを全部「つつじ」にしたら日本一かもしれない。神様は何万年、何十万年前に準備してあるんだから、実に口には言えないね。この「つつじ」なんかも四、五年前かね、「つつじ」を一〇〇〇本ばかり買ってくれないかと言うので、買うだけ買っておこうと思って買ったが、中には寄せ植になっていたが、一〇〇〇本と言うが二、三千本あった。それが今度非常な役に立った。見つけたってないです。あれは、岩崎が金にあかして、見つけたんです。

「『御垂示録』六号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年06月02日