御伺い 血統と霊統の区別と関係および血族結婚の可否について御垂示ください。
御垂示 血統と霊統は同じように思えるが実は異うので、両者は宿命と運命の関係に似ており血統は変え得るが、霊統は変えることができない。血統はいろいろ混る、日本人などもずいぶん混血しており、純粋の日本人はないと言ってもいい。霊統は霊の系統であって肉体の混血にかかわらず一貫し続いている。また混血は非常に結構である。なんとなれば、それぞれの人種の特長を数多く採り入れるから、それだけ人間の性能が豊富になるからである。よく血の純潔をやかましく言うがこれは誤りで純潔はいけないのである。
文化でも各国の文化が混るほど高度のものとなるから、そういう国ほど文化が進んでいる。アメリカなどはよい例である。
血族結婚は差し支えない。血族結婚は不具が出たり、不幸になるなどというが決してそんなことはない。太古はみんなそうであった。よく平家村といって特殊な村があるが、これはみんな血族結婚である。
かつて私は奥日光の湯西川温泉へ行ったことがあるが、ここはやはり平家村であって、戸数九〇戸人口六〇〇人ほどであるが、病人は中風の者が一人きりでほとんどない。勿論無医村である。宿の娘と話したが実に言語応待当を得ており、すばらしく頭がいい。話によれば、初め平家の残党が逃げてきたときは三〇人ほどであったというから、血族結婚で殖えたことは勿論である。
日本の神代史によれば、初め伊邪諾、伊邪冊尊の陰陽二神があり、それから殖えたのであるから、最初は右二神から生まれた兄弟同士が結婚したに違いない。夫婦のことを妹背の道といい、妻を吾妹子とよぶのは兄と妹と結婚したからであろう。
「『教えの光』、岡田茂吉全集講話篇第五巻p316」 昭和26年05月20日