昭和二十六年五月二十日 『教えの光』(浄霊および信仰)(41)

御伺い 死産、流産はなにか霊的関係がありましょうか。またこのような胎児は仏様としてお祭りする場合、どうすればよろしいでしょうか。

御垂示 霊的の場合と体的の場合と両方ある。根本はその人の罪穢による。罪穢にも種類がある。死産の場合の罪穢とは子孫を繋げぬ罪、系統の絶やされるような罪、例えば昔その家の祖先がなにかの原因で人殺しをし、殺された人の家が断絶したその怨みのごときもある。体的原因のほうは妊娠中に薬を服んで死産することがある。薬は毒だから妊娠前に薬を服んだ場合体力が弱る。その結果胎児が弱くできる。親の毒は子供に行きやすいものである。弱くなった胎児は出産のとき窒息死する。

 流産も霊的と体的あり、体的原因は化膿性腹膜である。子宮が膨脹するときつかえる。その結果流産する。腎臓部を浄霊すれば治る。霊的のほうは妾のある場合とか、約束した女を欺いた罪などで妻へ子供ができると右の女や、妾などの生霊が邪魔をする。そういういろいろの罪によって育たないのである。それらいずれも本教の信仰に入れば、ほとんどなくなる。流産の場合、五カ月以上はふつうの人間として祭るべきで、お寺で戒名をもらって簡単な葬式すればよい。五カ月で人間の形ができるからである。しかし四カ月か三カ月でも祟るのもたまにはある。

「『教えの光』、岡田茂吉全集講話篇第五巻p364」 昭和26年05月20日