昭和二十五年十二月二十五日 地天19 「神智の光」(3)

〔 質問者 〕古いお寺の由来記などによりますと、ときどき観世音菩薩の御尊像が、仏教渡来以前においてすでに祀られているようなことがありますが、日本において、仏教とは独立して、古代に観音信仰があったのでございましょうか。それとも観音信仰はあくまでもインド、中国における仏教の信仰とともにではあったが、日本へは仏教渡来以前に観音様の御尊像だけが招来され、宗教としての形式とまではゆかないまでも、単なる土俗の信仰対象で
あったのが、仏教渡来と同時にそれに包含されたものと解すべきでありましょうか。お伺い申し上げます。

 勿論仏教の渡来した欽明天皇より数百年以前に渡来したものであるが、それはただ仏像だけであったのが、右の欽明天皇の御代にたくさんの経文とともに、公式に渡来したものである。日本にある最も古い観音像は、インドでできた金銅仏であって、次はビルマ、支那、朝鮮という順序で製作されたものである。ところがこれを見分けるのに、簡単な見方がある。それはインドのはお顔の割合がすこぶる大きいが、時代の下るに従ってだんだん小さくなり、朝鮮製になるとお顔が小さく長身である。その代表作としては、かの法隆寺にある百済観音である。またお顔の大きいのは童子のごとく、日本で一番古い推古仏のごときは最もよく表われている。そうして右は彫像のことであるが、絵画のほうはよほど違うようである。

「『地上天国』十九号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和25年12月25日