昭和二十五年十月十五日 地天17 「叡智の光」 (4)

〔 質問者 〕善悪と時節につきましてお伺い申し上げます。時を待てという御論文の中に「神も時節に叶わぬぞよ」とございますが、御布教の上におきまして、私どもが常識的に考えまして正しいことでも時節に合わぬため失敗し、間違ったことでも神様の御都合上、当分順調に行く場合があるように考えられます。この点、信者としてよほど深く考えて現象を判断して行動せぬと、かつての日本政府に対する国民のごとき悲哀を味わわされることもあるやと思われますが、いかがなものでございましょうか。また例えば集会所の発展せぬ場合など、なにか自分に間違いがあるからではないかと反省し、間違いを発見して行き詰まりが打開される場合もございますし、うやむやのうちに打開される場合、いかなる態度でこれに臨むべきか、お教えをお願い申し上げます。

 これは大乗と小乗の相違である。一言にして言えば、小乗の善は大乗の悪であり、小乗の悪は大乗の善である。従って、すべて大乗の考えで進めば必ず発展向上する。大乗小乗については『信仰雑話』に出ているから、よく読みなさい。

「『地上天国』十七号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和25年10月15日