〔 質問者 〕浄霊によって善人と思われる人が助からぬ場合があるのにまったく悪人としか思えない人で助かる場合がありますのはいかなる理由でしょうか。
【 明主様 】一般に人間の眼からみて善人悪人を決めるが大いなる間違いである。これは神様からみると往々異う場合がある。
『信仰雑話』にあるごとくすべて小乗と大乗とあってこれによって見方が違う。人を観る場合大乗的にみなくてはいけない。善人と言っても本当の善人は極めて少ないので、ふつう善人というのはたいてい意気地なしで、概して働きのある人は多く悪人に見えるものである。神様の御眼からみれば善人といっても役に立たぬ人間はこの世の穀つぶしで一種の悪人である。大善をする場合は必ず小悪を伴うもので、これはしかたがないのである。その際小悪のみをみると悪人としか見えない。また悪人からみれば善人は悪人である。要するに簡単に善悪を決めることはできない。善悪はまた時代によっても違う。忠君愛国思想も民主主義の現在では悪になる。要するに全人類平等に幸福にすることでなくて本当の善ではない。
「『地上天国』三号, 岡田茂吉全集講話篇第三巻p18~p19」 昭和24年04月20日