昭和二十五年四月二十三日 『御光話録』十八号(5)

〔 質問者 〕今後当然芸術への関心が高まることと存じますが、芸術鑑賞の素地のない人がその素地を養うにはどのようにいたせばよろしいでしょうか。

 この「素地を養う」ってことをいま私がやってるんですよ。そのうちに美術館を作り、いろんな美術品を集めて説明しようと思ってますがね。それから、文学的なこともだんだんやって行くつもりですよ。和歌なんかも文学の下地なんです。和歌が土台になると日本文学はずっと力が出るんですね。そのほかに花ですね。いまにいろんな花を植えますからね。それから芸能ですね。けど、芸能って言ってもそうとう変わりますけどね。いまの日本の芸能の中では義太夫なんかはいまになくなってしまうでしょうね。大阪の文楽だって最近お客が来なくてだいぶ振わないようですからね。
  

〔 質問者 〕義太夫は外国人には理解できないからでしょうか。

 いや、外国人どころか日本人にも理解できませんよ(笑声)。できるできないより理解できるほど判らなくなりますからね。(笑声)
  

〔 質問者 〕謡なんかはいかがでしょうか。

 やっぱりなくなってしまうでしょうね。封建的ですからね。第一あんなの聞かせることが一つの罪悪ですよ(笑声)。なぜかって、あれを聞いても楽しむってよりむしろ苦しむ、不快になりますからね(笑声)。ラジオなんかで謡をやり出すと、私はいつもスイッチを切ってしまうんですよ。謡なんてのは、うたうんじゃなくて、唸るんですね(笑声)。私は謡と角力の放送は切ってしまう。
  

〔 質問者 〕歌舞伎などはいかがでしょうか。

 あれが問題なんですよ。歌舞伎はもうほとんど命脈が尽きてるんじゃないですかね。それに演ってるものは昔の忠君愛国思想のが多いんで、観ててもおもしろいよりか馬鹿らしくなりますよ。なぜかって言えば、お互いに話せば判ることを言わないで、死んだり腹を切ったりするんですからね(笑声)。だから歌舞伎ってのは芸術的よりむしろ美的ですね。そういう意味で残したいけど、もう駄目でしょうね。だから、もうこれからはどうしても映画になってくるんですよ。これはしかたがありませんね。劇場だって芝居だけ演ってたんじゃ儲からないけど、映画なら儲かりますからね。勿論、歌舞伎だってこれから大名人が出れば一時は復活するでしょうが、けどもう、ちょっと大名人は出ないでしょうね。団十郎くらいのが出れば、私もまた芝居を見たいと思いますがね。偉いのはみんな死んじゃって、現在、主なのは吉右衛門と猿之助くらいでしょ、けど二人じゃ芝居はできませんからね。(笑声)
  

〔 質問者 〕オペラなどはいかがでしょうか。

 あれはいまにもっとさかんになるでしょうね。
  

〔 質問者 〕しかし、なかなか理解できにくいようでございますが。

 ええ、そうですね。ちょっと難しいですね。しかし、一番理解できないのはジャズですよ。(笑声)
  

〔 質問者 〕では、笠置シズ子なんかは。(笑声)

 いやあ(笑声)……まあ、ジャズなんてのは日本の八木節のようなもんですね。
  

〔 質問者 〕先ほど歌舞伎は芸術的よりむしろ美的であるとうけたまわりましたが、美的なのも芸術の一つではないでしょうか。

 ええ、そうですよ。けど、芸術ってのは単なる美よりももっと広いものなんですよ。

 映画は芸術ですよ、あらゆるものの総合芸術ですね。第一に根本になるシナリオから俳優の技芸、背景、その時代時代の衣裳や雰囲気、ロケーションをする風景、光線の具合、音楽、場面場面のテンポや場面をつなぎ合わせるやり方なんかね。あるいは顔を写すにしても、顔の横とか前とかさらにそれをクローズアップするとかね。実際いろんな要素がありますが、そういうあらゆる要素を総合したものが映画ですからね。

 最近の新聞で(註)谷崎潤一郎が『暁の脱走』を非常に賞めてましたがあれは谷口千吉が監督した作品ですね。谷口千吉の処女作は『銀嶺の果て』って言うんですが、あれは非常によくできてましたね。私はあれを見て実に感激したんですよ、あまりよくできてたんでね。そこで手紙を書いてね、ま、褒美ってわけで金を包んで谷口さんに送ってやったことがありましたよ。あとで谷口さんが私のところへ挨拶に来ましたがね。
  

〔 質問者 〕たいへんな光栄でございますね、ノーベル賞の型をおやりになったわけで。(笑声)

 ええそうですよ(笑声)。谷口千吉と黒沢明とは兄弟ですが、黒沢さんの作品より谷口さんのほうが私は好きですね。その次に作った『ジャコ万と鉄』ってのもいいけど、まだちょっとの所がある。『暁の脱走』は新聞の谷崎さんの賞め方は私の観方とよく似てましたよ。……私はいままで芸術家に褒美を上げるなんてしたことなかったんですがね、『銀嶺の果て』は気に入りましたね。ま、ともかく映画にはいろんなものを含んでますよ。

(註…二月九日付『東京新聞』)

「『御光話録』十八号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和25年04月23日