昭和二十五年三月二十八日 『御光話録』十九号(1)

〔 質問者 〕私は昭和二三年入信した者ですが、主人と長男がお道に反対し、特に長男はお写真や御神体に御無礼まで働き私を気狂いだと申します。あまりの妨害に私は家を出まして一生懸命におすがりしております。最近主人は早く帰れと申しますが、どうしても帰る気になりません。主人は身持ちが悪く私は四人目の妻でございます。私の五人の子供を罪滅しにお道に御奉仕させとう存じますがいかがでしょうか。

 そうですねえ。これじゃちょっと、ま、具合が悪いな。ただね、こういうことは気をつけなけりゃいけない。家を出るのはいいけどね、それを一つの材料にして「メシヤ教ってのは家庭破壊の信仰だ」というふうに悪く宣伝されると、やはりこのお道の障りになりますからね。そういうことのないようにやれば、家にいても家を出ても差し支えありませんよ。宗教によっては、信仰に入ったために家庭の平和が破壊され、なにかと問題を起すのがよくありますがね。こんなことから誤解を受けると障りになりますから、注意しなくちゃいけません。

 こんな場合に、どういうふうにしたら一番いいかって言うと、この人が肚の中だけで信仰して、家庭では信仰の話をしないでね、そして神様にお任せしておけばいいんです。この人は自力でやろう、自分で判らせようとしてるんですが、自分だけますます信仰を深めて、時期を待つっていうやり方が一番効果的なんですよ。

 世間には極端な宗教がありますからね。以前やっぱりこの人みたいな立場の人があって、それは〇〇教でしたがね、先生に聞いてみたところ、その先生が「あんたは神様と御亭主とどっちが大切なんですか。御亭主を捨てて家を出なさい」って言われたんでね、その通りしたそうですよ。その人はその後こっちへ入信しましたが、主人があるような、ないような変な具合なんでね、よく聞いてみたらそういうわけだったんですよ。そのころ主人は満州に行って留守だったからまだよかったんですが、内地にいたらだいぶ面倒だったでしょうね。

「『御光話録』十九号、岡田茂吉全集講話篇第三巻p428」 昭和25年03月28日