昭和二十五年三月二十三日 『御光話録』十九号(1)

〔 質問者 〕将来茶道は特殊な方々のみに親しまれるものでしょうか。あるいは大衆的なものになるのでしょうか。

 そうですね、いまよりずっと大衆的になるでしょう。しかし茶道ってのは一つの趣味ですから、茶道にまで趣味を持つってのは労働階級までは行かないでしょう。ま、中流階級でしょうね。いまよりはもっと一般的にはなりますが、一般大衆までにはちょっと難しいでしょう。

 それよりも、将来は外国人が茶道を理解し、外国人がそうとうやるようになるでしょうね。米国人なんかもかなり茶道に関心を持ってますね。この間もある所へ行ったら、米国人で俳句を三〇年もやってる人がいましたがね、たいていの日本人の俳句をやる人よりよく知ってて、芭蕉なんかも非常に詳しいって話でしたがね。それから最近英国で短歌の本を出した人があるでしょ。アメリカ婦人で活花なんかやってる人もありますね。また、アメリカ人は日本の建築にも関心を持っており、スープなんかを日本の茶碗で飲んだりしてますね。この間アメリカの雑誌『ライフ』に出てましたが、アメリカでも木膚を見せた建築ができてますね。椅子なんかも日本的に低くしたり、障子もだんだん用いられてますね。日本人がアメリカ式をとり入れるとともに、その反対にアメリカでは日本式をとり入れてますね。茶道なんかも、いまに外国ではやるようになりますよ。そうなると日本人はビックリすることでしょうね。

「『御光話録』十九号、岡田茂吉全集講話篇第三巻p427」 昭和25年03月23日