昭和二十五年二月二十八日 講話(8) 光録17

〔 質問者 〕私は数年前御守りをいただき職業(漁師)の傍ら御救いのお手伝いをさせていただいておりましたが、最近御救いのほうが多忙になりほとんど漁師のほうはできません。そこでお道いっぽうだけで進みたいと思いますが、家族や親類が強く反対しております。いかがいたしたらよろしいでしょうか。

 こりゃあ、御救いいっぽうにしたがいいですよ。家族や親類の反対はぜんぜんかまわなくていいですよ。それにこの人は「御救いのほうが多忙だ」って言うんだから。

 私がそうでしたよ。みんな反対だったんですが、私は頑としてそんなのに耳を傾けずにやってたんです。実際、このくらい立派な、いいことはないんですからね。魚をとって人に食わせるよりか、このほうがいいですよ。漁師をやる人は他にたくさんあるんですしね、これで人を救ったほうがどんなにいいか判りませんよ。……職業を選ぶ場合だってそうですよ。どっちが世のためになり、多くの人が幸福になるかを考えて、こっちのほうがいいと決まったら、だれが反対しようとどんどんやってくんですよ。私だってそれで押し通したんです。よく、当局が調べるとか、弾圧されるとか、医師会が妨害するとかいろいろ聞きますがね、私はそんなのなんとも思いませんよ。なぜって、私のやってることのほうがあっちでやってることよりずっといいんですからね、それを止めようとするのは悪いんです。正しい神様がおられる以上悪が勝つなんてことは絶対にないんですからね。

 それからまた、こっちが確固たる信念を持ってると反対者はなくなるもんですよ。反対者があるとか、いろいろ妨害されるのはこっちにまだ隙があることも多いんです。いくらかでも迷いとか弱い所なんかがあると、そこを狙って……やはり霊ですからね、邪神が邪魔するんです。こっちが十が十決心して隙がなければ、邪神はどうにもできないんです。

 そうなると反対する者も諦めますよ。そしてそのうちに「あああれはなるほどいいんだな」っていうことが判ってきて、お辞儀をしてきたり、賛成したりするようになるんですから、この人も家族や親類の反対なんかにはビクともしないでやっていいですよ。

「『御光話録』十七号、岡田茂吉全集講話篇第二巻」 昭和25年02月28日