昭和二十五年二月二十八日 講話(16) 光録17

〔 質問者 〕ある婦人の信者、その人の住んでいる村の鎮守の森にむじながおり、以前その婦人が隣人に対してあることから怨みを懐き、その人をそのむじなにかけて呪ったところその人は狂い死にしたそうです。このような場合呪った人と呪われて狂い死にした人との現界霊界の苦しみの因縁はどうなりましょうか。

 これはどっちも悪いですね。しかし、どっちかって言えば呪われて死んだ人のほうがむしろいいですね。呪ったほうがずっと悪いですよ。これは因果応報でそうなるからしかたがないんです。だから人を呪うって言うのは自分を呪ってるのと同じなんですよ。人を呪うことによって大きな苦しみを作るんですからね。しかし、呪われて死ぬほうにもそれだけの罪があるんですよ。だから「呪ったほうだけいけなくて、死んだほうには罪がない」なんてことは決してないんです。つまり、呪われて死ぬだけの資格があるんですね。この信仰に入り神様からの御守護をいただいてれば、いくら呪われたってなんともありませんよ。そりゃあ、いくらかはありますよ、いくらかはね。この信仰に入ったってやはり曇りはありますからね。しかし、苦しみで浄化されるからそれでいいんですよ。

「『御光話録』十七号、岡田茂吉全集講話篇第二巻」 昭和25年02月28日