〔 質問者 〕私は一年前より肺浸潤と腹膜炎を患いましたが、わずか三日間の御浄霊にて起きられるようになり、あまりに顕著な御利益にさっそく母とともに入信いたしこのたび御神体もいただきました。しかし私の主人は私を全快の見込みなしとし、私の父母と私を養って行けないとて子供を置いて実家に帰ってしまいました。籍はまだそのままですが、ぜんぜん送金もいたしません主人と一緒になることはいかがでしょうか。
これはね、光明如来様にお願いして、もうなにも考えないほうがいいんです。根本を言いますとね、この奥さんに霊の曇りが少なくなって、霊的に向上すると、もし一緒になったほうが仕合せなら一緒になるし、一緒になっては不仕合せなら、その主人とは別れて、別の人と一緒になるか、それともしばらく一人でいるかになりますね。とにかく、この信仰に入って、光明如来様にお任せしてればこの御婦人が仕合せになるようになりますよ。
ここでちょっと夫婦のことを話すと、夫婦は霊的に言うとたいした違いはないんですよ。ところが、いっぽうが信仰に入って霊的に向上すると非常に離れてしまう。その場合霊の下のほうは生き別れるか死に別れるかしないとどうしても釣り合いがとれないんです。けど下の人が気がついて一心に信仰すると一緒になれるわけなんです。だから、主人の信仰が進まずにずっと離れてしまうと、いくらくっつけようとしても、もうくっつかないんですよ。どうしても別れるようになっちゃうんで、またそれでいいんですよ。そこで神様が因縁によって同じような人を一緒にさせてくださるんですよ。
結婚だってそうなんですよ。非常に違ったのが一緒になろうったって駄目なんですよ。自分が磨けてりゃ必ずいい配偶者が来るものなんですよ。だから、嫁入りのときにいろいろ家系だとかなんだとかを調べますね。けど、ああいうことはいらないんです。神様にお任せしときゃ必ず同じくらいの人が一緒になるんです。なんにも心配はいらないんです。
家の引っ越しなんかもそうなんです。家相だとか方位方角なんかちっとも気にしなくたっていいんですよ。ちゃんとその人に相応した方角の家に越すことになるんです。中有界の人は中有界の方向へ越すし、身魂が天国にある人は、どうしたっていい家でなけりゃ越せないんです。同様に霊が地獄にいる人が、いくらいい家相や方角の家に越そうとしたって、決してそんな所へ行けやしないんですよ。私なんかそれを知ってますから、家相もなにも調べやしないんです。気が向けばそこへ行って見る。行くと必ずいい家なんですよ。かえって越してからその家のいい所がたくさん判ってくるんですよ。
なんにしても原因は自分にあるんですよ。自分が自分の運命を造るんです。言いかえれば運命はその人の徳によるんです。いいことをすればいいことが多くなって運命はよくなるんですよ。なんのことはないんですが、ただできにくいんですね。(笑声)「言うは易く行うは難し」でね。しかし、いいことをやり出すといいことに興味が出てくるもんで、いいことをするのがおもしろくなり、悪いことをするのがバカバカしくてできなくなっちまうんです。悪いことは癖がついてると離れ難いもんですが、信仰するとその癖が離れやすくなり、それだけいいことをしやすくなるんですよ。それに、いいことをするようになれば神様の御守護があるからなおさらよくなるんです。といって、勿論その人にはその人だけの運命があるから、その運命だけのものはきますからね。ただその場合、大難は小難にしていただき、小難は無難に振り替えていただけるわけなんですよ。