昭和二十五年二月二十日 『地上天国』十三号 (24)

〔 質問者 〕入信させていただきましてより丸五年になりますが、二年前より「光明」の御軸に毎朝観音様のお姿が拝せられます。それは朝の祝詞の終わりごろ瞑目しておりますと、まず燦然たる光輪が現われ、次に観音様のお像が、あたかも光輪の逆光線を受けて浮彫のごとく神々しく現じられます。この場合光輪の中心に、お顔の部分が拝せられます。次にお姿の右方より、左上に向かって半円を描きつつ、七彩も鮮やかに大きな虹がほのぼのと立ち昇ります。そして約十五、六秒そのままの光景が続き、次いで光輪、お姿、虹という順序に、しだいにぼんやりと消えてゆきます。かねがね霊感度の相違によりお像や金色の御光を拝される方々があるやにお伺いしますが、お姿と虹にはいかなる関係がございましょうか。ちなみに毎朝拝される虹と、その後たまたま本物の虹を目撃いたしましたが、その配色の順序など、まったく同一であることを発見し、異常な驚愕に打たれました。なおお姿は最初半年くらいの間は、全身の立像(斜左向)でございましたが、その後半年くらいは斜右向の七分身像になり、最近一年くらいは巌頭の座像(斜左向の全身像)にお変わりになっております。また最初の全身像の場合は両方のお手で巻物のごとき物をお持ちになり、次の七分身像のときは左手に蓮華を右手に玉を持たれ、ただいまの巌頭像のときは、頭上に外国のキングに見るような王冠のごとき冠をいただいておられ、左手に蓮華、右手に巻物をお持ちになっておられます。以上のごとくお像は今日まで三回の御変化がありましたが、光輪と虹およびその御出現のしだいには変わりはございません。

 これは、私の書いた「光明」の御軸は単なる文字だけではない。観音様がおいでになることをお知らせくだすった意味もある。これを多勢の人が知ると、御神体に対する考えがちがうからである。

 虹は、火と水の強い場合、虹になるのであるが、観音様のお働きは火と水であるから、虹が見えるのは、自然現象の虹と同じ理由である。最初に光輪が見えお姿が見え、虹が見えるという順序もおもしろい。

 蓮華を持っておられるのは聖観音で、仏法のお働きを表わし、玉は如意宝珠のお働きで如意輪観音である。

 巻物は昔でいう六韜三略の巻で、実は経綸を書かれてある。王冠をいただいておられるのは、観音様が人間としてお表われになったとき、王様の御位であったからである。

 以上は、いままでの変わり方を示されたものであるが、今後まだまだいくらも変わられる。

「『地上天国』十三号、岡田茂吉全集講話篇第三巻」 昭和25年02月20日