〔 質問者 〕美感は時代により変移または発展するものでしょうか(例えば往時の絵画、音楽、文芸などが現在それほどもてはやされておりませんように)。
【 明主様 】 やはり、その時代の想念がいろいろの事情につれて変わるんですよ。例えば元禄時代は派手だったんですが、世の中が太平だとああなるんですね。また、社会が変革する時代だと派手なところはなくなるんです。それから国家の財政という点もありますね。幕末のころ水野越前守が倹約令を出したことがありますが、そのときなにかの折に将軍が生姜を食べようとしたがないので、なぜ生姜を作らぬかと訊くと、生姜は贅沢品だから作れないとのことなので、立腹した将軍はさっそくその倹約令を全廃したそうですがね。また、江戸時代は絹を着られなかったので、ちょっと見た目には木綿のように見える絹を作り出した、これが結城紬なんですね。いまの結城や大島はこれから出てるんで、いまでも贅沢な人はこういうのを着てますね。また表だけは木綿にして裏へ絹を使ったこともありましたがね。
〔 質問者 〕墨絵なんかはいかがでしょうか。
【 明主様 】 あれは違いますね。墨絵は支那から来たんですが、支那の絵は極彩色と墨絵と二種あって、貴族は極彩色の絵を描いたので、支那の天皇の中にも上手なのがいましたね。徽宗皇帝のはいまから一〇〇〇年以上も前のですが、まったくうまく描けてますね。ところが一般の国民のほうは墨絵が多かった、南宗や北宗なんかそうですね。で、日本のも支那から伝わって来たもんで、最初に伝えたの□□□□ウゲツ」(?)でこれはほとんど墨絵ばかりですね。それから相阿弥、元信、雪舟になったんですが、あれは倹約令のほうとは違うんですよ。
「『御光話録』十五号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p」 昭和24年12月20日