〔 質問者 〕自由恋愛と見合結婚をめぐりいろいろと議論が交わされており、自由恋愛は新しい人の間にもてはやされ、見合結婚は昔気質の人が主張するようですが、いずれも結局は産土神のお取り次ぎとすれば文句は言えないとはいたしましても、どうも恋愛結婚のほうは結果が思わしくないようですが、この点いかがでしょうか。
これは簡単には行かない問題なんですよ。(笑声) こういうことがあるんです。見合結婚のほうは勿論産土の神様がされるんだし、恋愛結婚のほうも産土の神様ですがね、前世に非常に愛し合っていた者の恋愛が、いっぽうが死ぬとかあるいは両方が死ぬとかして遂げられなかったのが、またこの世で会った場合、まだ執着が残っているんで、こんなのの恋愛は無軌道的になって理性を失ってしまうんです。しかしそのとき産土神だとか、その人の正守護神だとかはその執着を取り除かせるためにその恋愛を許すことがあるんです。そしてある時期が来るとその執着はとれてしまいますからね。執着がとれるとふつうの人間と人間だからまったく熱が冷めてしまうんです。そこで、その夫婦が産土の神様が決められたものと違う場合は、別れさせて改めて結婚させるんです。恋愛結婚がうまくいかないっていうのはこんな場合なんですよ。だから、どっちとも言えるもんではないんです。
それからまた、夫婦になっても中途で亭主がどこかに愛する女ができるとか、細君のほうに愛する男ができるっていう場合がありますね、これは不純な恋愛ですがね。こんなのができるっていうのは、やはり前の世の恋愛した執着が残っている場合があって、よくそんなのはめちゃくちゃになりますが、本人としては、細君にすまぬとか、主人に相すまぬとかいう気持ちは本当にあるんですがね、どうにもしようがないんですね。執着がとれると、またたいていは元に戻るもんですよ。一生懸命にこれを止めようとすると、かえって悲劇なんかが起るからいけませんね。
結局において、すべては因縁でそうなるんですからね、ほおっておけばいいようになるんです。そしてそんな場
合に苦しむのは苦しむ者にそれだけの罪があるんですよ。