昭和二十四年七月三十日 講話(49) 光録09

〔 質問者 〕一一歳の男子、三歳のころより言語不自由となりいまでもキシャポッポ、ジイヤ、バーチャンくらいの言葉しか言えません。智能もやや白痴に近うございますので、そのまま入学を遅らせております。三歳のとき転んで頭を負傷したとのことです。これは霊的でしょうか。

 これは二つに考えられますね。一つはね、転んで内出血してそれが固まったために、智能を司る前頭部の活動が鈍くなったためか、もう一つは赤ん坊の霊が憑いているためか、この二つですね。こういうことがあるんですよ。死んだ赤ん坊があってね、赤ん坊のほうはそうでもないんだけれど、その親に強い執着があると、その想念によって赤ん坊が引っ張られ、また新しく人間に生まれ変わるひまがなくて、次に生まれた赤ん坊にくっつくということはあるんです。まれには頭を打って死んだとか、なにか爆弾みたいな爆発物で死んだ霊が、霊界での浄化が完全に終わらぬうちに生まれ変わって来ることもあって、こんなのはボーッとしてますがね。こういうのはまあめったにないんですが、赤ん坊の霊の憑くのは一番多いんです。また流産の霊が祀ってもらいたくて憑く場合もあります。だから妊娠五カ月以後で死んだ赤ん坊は祀らなくてはいけませんね。ごくまれに三、四カ月のでも障りになることもあります。それで、この人の家に流産とか早産や赤ん坊の中に死んだとかいうのがあったらそれと考えていいですね。御浄霊は前頭部の中が一番です。それから首筋ですが、気長にしてれば少しずつ治って行きますよ。

「『御光話録』九号、岡田茂吉全集講話篇第二巻」 昭和24年07月30日