昭和二十四年七月三十日 講話(14) 光録09

〔 質問者 〕教修を受けただけで、光明如来様をお祀り申し上げねば救われないのはなぜでございましょうか。

 光明如来様をお祀りすると一家の霊界が明るくなるんで、お祀りしなければまだ暗いんです。暗いのは地獄だから駄目でまだ救われませんよ。それに、光明如来様を拝むと、拝むたびに御光りを受けるから浄まって行くんですね。だからたいへんな違いですよ。光明如来様をお祀りせねば本当に信仰に入ったとは言えませんね。つまり、光明如来様をお祀りすれば信仰の門の中へ入るんで、お祀りしないうちは門の外にいるわけです。かと言って、勿論門に入っただけじゃ駄目でね、やっぱり玄関からお座敷まで行かなくちゃいけませんからね。それじゃなくちゃ天国にはなりませんよ。また、教修を受けただけじゃ駄目だっていうのもそれですね。

「『御光話録』九号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p」 昭和24年07月30日