昭和二十四年四月二十三日 講話(5) 光録07

〔 質問者 〕まじめに働いていても明日の大浄化は信じられぬゆえ「特にこのお仕事が最善の道とは考えられない。それゆえ明日の裁きがいかようにあるともよい」と考えている人もたくさんあります。かかる人々は神様からどのようなお咎めをいただくでしょうか。

 これは信者ですか、信者でない人ですか。
   

〔 質問者 〕信者でない人でございます。

 信者でない人ね、こんなもんでしょうね。まあしかし、まじめに働いててそんなに罪を犯さなければ救われますよ。信者だからって怠けていてなにもしなければ危いですよ。信者じゃなくてもいい行いをして正しい心の人は救われますよ。ただ信者は助かるべき方法を教えていただけるんで、このお道で人を助けることによって罪が減るんです。ちょうどね、金が手に入っても、ただしまっておくだけじゃなんにもならないし、またくだらないことに金を使っちゃかえって害になるくらいがおちで、使い道のいい所に使わなくちゃいけません。その方法をこの信者になると教わるんですよ。金の使い道は、この教えで使うのが一番有効な道ですからね。せっかくその道は教わっても、実際にやってゆかなくちゃなんにもなりませんよ。つまりね、人を助ける最善の方法を教わるのが教修なんですからね、教修を受けただけで、人を助けなければなんにもなりませんよ。

「『御光話録』七号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p~ 説明:」 昭和24年04月23日