放送に対する抗議文
去る一月二五日放送「私達の言葉」中、「迷信邪教について」と題する本教団を対象とした言説は、あまりに荒唐無稽と虚構にみち、放送のごとき全国的に影響する機関である以上、本教団の信用を傷つけること甚大にしてとうてい黙視するに忍びず、断然当局の責任を問うものである。公共事業としての特権を有する放送事業としては、最も慎重にその種目を取り扱うべきにもかかわらず、軽率にも誣告者に味方するごとき行為は許すべからざる罪悪である。
実際の迷信邪教に対し、厳正なる批判の下に社会に警告を与うることは、われらも大いに多とする点においては、あえて人後に落つるものではない。けれどもそうでない非迷信邪教をもなんらの調査も行わず、迷信邪教と断定することは赦し難いのである。しかし、本教団数十万の信徒中一人二人の脱線者の出ずることは避け難いところで、これだけでその教団全般を律することはあまりにも軽率の譏りを免れまい。例えば一人の不良学生をみて、学校全生徒を律するのと同様であろう。忌憚なく言えば、投書家の悪意に満てる独善的言説が許されるとすれば、今後ある団体の社会的信用を傷つける目的のもとに放送局を利用する輩の出ずるやも知れずとすれば、放送事業なるものは社会悪助長の一役を果たすこととなろう。投書家の言説が一種の悪意を通してみたる批判であることは随所に窺われるところで、その中の二、三を摘記してみよう。「日本人は後二、三年で死に絶えてしまう、そのとき観音様の御光を戴いた人は救われる」とのことは、本教団においては予言はかたく禁じてあるから、右は捏造か、または本教団以外の者か、本教信者であるとすれば、異端者かあるいは頭脳の欠陥者であろう。
「寒暖計云々」はわれら初めて聞くところで、ぜんぜん本教教義とは関係がない。次に教修料に関してであるが、一三〇〇円は講師の手当、入信料、維持会員の会費、バッジ代、書籍代、出張旅費、旅館宿泊費など含まれており、最近は物価の値上がりのため遠近ともそうとうの増額になっている。また薬剤に関しては病者がよく言うところで、それは薬剤多用者が難病の場合、本教に入信快癒し喜びのあまりよく発する言である。霊の憑依については近来欧米においてもさかんに研究実験されつつあり、本教ひとり言うのではない。
「狐霊の憑依」は事実で、これを信じない人はなんら触れたことのない無経験者の言である。そうして本教団の信徒中には、知名の政治家も、大学教授も博士も著名な文筆家も裁判官も高級警察官など多数を包含している。これらインテリやジャーナリストが愚劣な迷信邪教を信ずるはずがないではないか。故に、一片の低劣野卑なる投書家の言を信じて放送するとすれば、貴局においてのあまりに人なきを歎ぜざるを得ない。
最後につけ加えたいことは、かのキリスト教であるが、キリスト在世中は迷信邪教として迫害された結果、キリスト御自身が贖罪のためとは言いながら、茨の冠を被せられ刑場の露と消え、残った十一人の使徒の努力によって二千余年の歳月を閲し、今日の大を成した事実は深く考えなければならないところであろう。以上のごとき理由をもって、貴局がその過失を認めそれに対する責任を負うべき義務がある。そのことを具体的に言えば、謝罪の意を表するとともに、今後本教団に関する放送は、事前において本教団の承認を得ることの誓約書を提出されんことである。なんとなれば一方的の言説を信じて、他の一方善意の第三者に被害を与えることは民主的に相反するからである。
最近本教団発行の『信仰雑話』、雑誌『地上天国』を進呈したいからぜひご覧を乞うしだいである。
御参考までに申し上ぐるが、近来本教団の異常なる発展を嫉視し、他宗教の一部の者、または医家のある者などが本教団に不利益な言説を吐くやに聞き及んでいる。由来、日本における言論機関、または放送者は新興宗教に対しいささかの敬虔さもなく、勝手放題な侮言をもって批判する傾向のあることははなはだ遺憾である。しかもそれらに対し被害者の多くは泣き寝入りに畢るので、彼らはこれを奇貨とし善悪無差別的に批判の対象とする。この態度は信仰の自由を認める民主主義を無視するのはなはだしいものといわなければならない。本教団においてもこの点に鑑み、これら謬れる反民主主義者に対しできるだけ警告を与え、矯正することも社会向上に資すべき宗教人の一義務と観ずるのである。