昭和二十四年二月二十八日 御講話(15) 光録04

 来月八日から週刊の新聞を発行しますがね……ちょうど神様がうまく御膳立てをしてくださったので、やらなければならなくなったのです。こっちが発展するにつれて、新聞などでいろいろとうるさいことが起りますが、そういうこともかえって宣伝になるからいいんですが、だんだんとのさばってきてあまりつまらぬことを言いますからね。だから、どんなケチなものでも、こっちでも新聞を出すとなると、先方もそうでたらめは言えなくなりますから。一枚売り一〇円、一カ月四〇円ですが大いに利用してもらいたい。名前は『光』と言うんです。世間で「御ひかり様御ひかり様」と言いますからね。(笑声) 光の弾丸です。光という名は雑誌や保険にはあっても新聞にはまだないですね。
   

〔 質問者 〕煙草にあります。

 ああ、煙草にはありましたね。(笑声)
  
(「発刊の辞」を井上先生朗読)

 それから今度、飛騨の高山で……あすこはだいぶ発展しているので、ときどき医師会などとの間に問題を起すんですが……迷信邪教について放送討論会を開くことになり、名古屋の放送局からしゃべれる人を数人よこしてくれと言って、まあ招待を受けたんで、私が原稿を書いたんです。
     
 迷信邪教について (以下、井上先生朗読)
  
 世間、迷信邪教というが、迷信邪教の一番はキリスト教である。キリスト在世時代を考えればよく判る。当時、迷信邪教と誤解されて、十字架にまでかかられた事実が物語っている。それが時の経過によって、迷信邪教の汚名は消え、今日のごとく立派なものとなったのである。宗教のほとんどは、生まれた当時は迷信邪教視せられたものである。日蓮も、親鸞も、法然もそうであった。だから、実際、迷信邪教であるか否かは時を待たなければ確定は困難である。本当の迷信邪教であれば必ず滅びる。そうでなければ必ず発展する。

 今日、新宗教でさえあれば、十把一からげに迷信邪教というが、なるほど本当の迷信邪教もあるが、そうでないものもあるべきはずである。観音教団が迷信であるかどうか、徹底的に検討してもらいたい。ところが、少しも触れない人々が尻馬にのって迷信邪教視しているように見える。故に、馬鹿らしくて返答のしようがない。多くの医師から見放され、死の宣告を受けたものが起死回生し、立派な健康体になったものは、実に無数に上るのである。また、不幸なものが幸福になったり、不良が改善された等々の、現実に社会に貢献しつつあるわれわれに対し、どこに迷信があり、邪悪の点があるか聞かしてもらいたい。
 一年有半にして、一〇万以上の信者ができるということは空前であり、なにを物語っているのであろうか。まったく眼の前に見る顕著な御利益や、奇蹟によるからである。民衆を侮ることの間違っているということは、今回の総選挙がよく教えた。故に、本教の発展こそ、民衆の批判の正しいことを示していると思う。 (昭和二四年二月二八日)

「『御光話録』四号、岡田茂吉全集講話篇第二巻p~」 昭和24年02月28日