〔 質問者 〕すぐれた芸術家の中には不遇な人が多いのはなぜでしょうか、また人格的にどうかと思われる人がありますがこれはいかがでしょうか。
これは一時的にはありますが、永い間にはないでしょう。もしあればその芸術がすぐれてないか、または悪いくせがあるためです。すぐれていれば必ず世に出るべきものです。私のだって価値のないものなら、いくら宣伝しても一時的ですが、本当に価値があるから発展するのです。以前上野毛へ移ったときも「こんな辺鄙な所へ移ってしまっては……」と言う人もあったが、私は「本当のものならどこへ出たってよい」と言ったことがありました。……芸術が世に認められてても運が悪いということですか?……そういうのは西洋に多いですね。これは芸術家には不道徳の人が多い。こんなのは神様のほうから言えば本当の芸術家とは違って悪魔的です。人を愛することや人の迷惑ということを考えることが少ない。ただ自分の芸術のみ尊重して社会生活に寄与することが少ない。それが不幸の原因です。西洋の音楽家や文学者にはこれが多いですね。ところがヨハン・シュトラウスは銀行家だったがクビになり、やがてその音楽が皇帝に認められたんですが、それは皇帝もシュトラウスと同じ境遇だったからです。ベートーヴェンなんかはひどいですね。耳は聞えず、恋愛は失敗するし、シューベルトだってそうでした。ベートーヴェンのリズムは悲痛から生まれたもので聞いてても快感はなく暗い感じになります。ただこっちも暗い気分なら共感はあるでしょうが……彼の「運命」なんかはいいんですが、悲痛が出てますね。
「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p」 昭和23年12月28日