昭和二十三年十二月八日 御講話(9) 光録(補)

〔 質問者 〕歴史によりますと聖徳太子の御代の仏教芸術や元禄時代の庶民文化のように、今日でも及ばぬほどのすばらしい芸術、文化が発達いたしましたが、なにか特殊な意味のあることでございましょうか。

 これは私も始終不思議に思っているのですよ。実にいまの人よりもあまりに巧みなのです。いまのものなんか見られたざまではない。絵なんかもいまの人は美術工芸家であって、描くのではなく色を塗るんです。言わば「ぬり絵」です。ああいうのは輸出には向くでしょう。私の子供は川合玉堂先生に絵を習っていたが、自分で描いて先生に見せると直される、直されたのでは会に出品しても選には入れない。で、しかたがないのでいまは安田靫彦先生についているのです。 ……西洋の油絵もまたとんでもない横道です。 印象派なんかも後期まではよいが、それからの「絵かき」は主観だけを描いて客観をまるっきり無視してしまっている。だからまるで通用しない貨幣です。芸術の目的は美によって人の心を高め品位を向上させることだが、あれではかえって人の心を堕落させてしまう。あんなのは美ではなく醜です。人間を描いたって人間には見えず化け物です。去年『読売新聞』がやった西洋の美術展覧会の絵の複写を見ましたが、まったく西洋にも「絵」はなくなりましたね。……私が最近手に入れた人形は慶長時代の作ですが、いまの人なんか足元へも寄れないです。昔の仁清の陶器なんか感覚が新しい。いまの物のほうがかえって古くさいですね……(右のお人形を拝見す)

 この「マゲ」は慶長時代の「結い方」で、これは猿楽師の姿です。顔なんかも品があって柔らかいし、体つき、手足の姿勢もいいです。……また支那の周時代は銅器が発達したが、いまから四、五千年前のでも実によくできてます。いまの銅器は「イタイハ」(?)は名人であれなら私は買いますがこれは周のまねをしているのです。また「古代裂」(織物のこと)はいまは「タツムラリュウヘイ」が名人だがこれはいいな……と思うのは正倉院の模倣です。堂本印象のものは見られないですね拙くて。……いい「裂きれ」と言えば古代裂です。その時代の表装なんかも実にいいですね。進んでいるのですよ技術も。金襴の「きれ」から織り出した具合なんかいまはできません。(仁清)の八角の花瓶を持ってますが、上が八角で下が円くなっていますが、その曲線が直線に変わることもいまはできないのです。……音楽だってそうです。どうも近代のにはいいのがない。ベートーヴェンやバッハなんかも一〇〇年以上も前のです。いま名曲と言われるのはほとんど一〇〇年くらい前のですね。ドビュッシーなんかどうも興味が持てませんね。長唄でも新曲は聞けません。『越後獅子』『勧進帳』なんかにしてもほとんど明治初年までですね。こういう点がまったく不思議なんですよ。この原因としてはただこれだけは言えるでしょう。種痘のため体が弱り根気がなくなったことです。従って昔の人ほどに根気がなく中途で諦めてしまうのです。昔の俳優の修行なんかもいまの人はまねもできない。師匠がただ教えるだけではなく、自分で工夫させるのです。いまの時代にこんなことをしたら弟子はみんな逃げてしまうでしょう。『忠臣蔵』の「定九郎」も、ある役者が……名前は忘れましたが……いろいろ苦心していたある日飯屋に入っていると、にわかに夕立が降ってきた、と、そこへ一人の浪人がかけこんで来た。それを見ていた役者が「これだ!」と判り、さっそくそのかけこむ姿を舞台でやったところたいへんうけたそうです。……いまの人にはこんな根気がない。実際種痘ができてから名人が出ないです。それからまた生活のためにそれぞれの道に苦心するだけのいとまのないこともありますね。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p」 昭和23年12月08日