昭和二十三年十二月一日 御講話(4) 地天01

 〔 質問者 〕邪神はことさら正神らしく見せかけるように思われますがいかがでしょうか。

 これは無論そうであって、最初から邪神と分かられては人間のほうで警戒するから、邪神の目的は立たぬ、どこまでも正神と見せかけて間違ったこと悪いことを、善いこと正しいことのように思わせるものである。邪神はいわば人間界の詐欺師のようなものである。これを認識しないと邪神の術中に陥るのであるから、よほどはっきりとした眼識をもたねばならぬ。

 私の『信仰雑話』を書いたのも一つはそういうものにしっかりした判別力を植え付けるためでもあるから、どうしてもこれによって智慧証覚を磨かねばならぬ。従って邪神の言動は立派に見えても必ずどこかに欠点のあるもので、容易に見破り得るのであるが、人間はその判断がつかぬため他愛なく騙されるのである。例えば共産主義のごとき、これは自己の階級だけを愛し、他を打倒しようとする間違ったものであるが、主義者はこれこそ大衆を救う唯一のものであり、絶対の真理だと信じてやっている。それだけにまた非常に強いところがある。

 また社会主義のごときもそうで、これが本当のやり方で、これによって社会は救われると信じ切っている、この主義によると、賢者も、智者も、愚者も、偉人も平等に取り扱おうとする、そこに不公平がある。大自然を見てもいっさいにおのずから階級がある。偉人とか智者は社会からそれ相当の地位を与えられ優遇さるべきが本当であって、それによって社会の秩序が保たれる、また社会主義は人間の競争心をなくそうとするが、これは文化の進歩を阻害することになる。競争心があるので進歩発展するのである。

 次に資本主義もはなはだ間違っている、これは、金力をもって大衆の幸福を蹂躙することになるからである、どうしても全体が幸福を得るという全体幸福主義というような新しい思想が生まれなくてはならない、そこまで文化が向上することを念願として進むべきである。

「『地上天国』創刊号、岡田茂吉全集講話篇第一巻p」 昭和23年12月01日