昭和二十三年十一月二十八日(6) 御講話 光録01

〔 質問者 〕教導所により治りにくい患者が幾人も来ることがありますが、これはその教導師がなにか自己反省すべき点があるためでしょうか。あるいは他になにか神様の思し召しがあるのでしょうか。

【 明主様 】神様の思し召しということはない。すべてを救われるのが神様の思し召しであって、思し召しで治さぬなんてことはない。昨日も話したことなんですが「軍神」なんてことはないのです。今度の戦犯の判決なんかまだ軽すぎます、戦犯のために幾万という人が死んでいるのだから、彼らの犯した罪に比べれば帝銀事件の平沢なんかはまるで「蚤のふん」みたいなものです。マッカーサー元帥がその声明の中で、「これを機会に戦争をなくしてしまいたい」と言っているのは本当です。こういう点の判断が日本人はどうもいけない。同情してしまって罪を軽くしようとする。……で、軍神というふうに人を殺すことを手伝う神なんか正しい神ではない。……治りにくいというのは教導師の頭の働きが悪いのです。急所を当てれば治りが早いが、外れていては治らない。中には体全体やればどれか急所に当たるだろうといった調子で機関銃式にする人があるがそれでは駄目です。ほんの小さな毒結のため全身的に発熱することがあるが、そのときその毒結をやればたちまち解熱する。

「『御光話録』二号、岡田茂吉全集講話篇第一巻p321」 昭和24年01月08日