昭和二十三年十一月八日(5) 光録01

 〔 質問者 〕お弟子方につき「ああなればよい」とか、「こうなればよいのだが……」というふうにいろいろ考えがちですが、これも執着でございましょうか?

【 明主様 】それは信仰がないからだ。神様を信用してないからです。すべて神様がやっておられるんですからね。……神様にお任せするという気持ちになるにはよほど修行がいるんですね。どうも世間の人々は人間的に考えては苦しんでいるんですよ。私は問題に直面して適当な案がないときは神様にお任せするのです。……また他の人がしたいということは間違っていてもやらせてしまうのです。それはやりたいと思っているとき注意してもなかなか悟れない。行き詰まって初めて気がつくのです……

 〔 質問者 〕行き詰まったか否かはどうして判断すべきでしょうか?

【 明主様 】それはすぐ判りますよ、行き詰まったときは気がついて自分で苦しみますから。……神様のほうだって「俺にそんなに任せるんならちゃんとしてやろう」ということになるのです。だからすべてお任せしたらいいのです。

 〔 質問者 〕よくどっちをとってよいか選択に迷うことがありますが、ある所では、なにか「こより」のようなものを観音様にお供えし、それを「オミクジ」を引くように頑是<がんぜ>ない子供にとらせて迷っていることを決めるそうですが、だいたいうまく行くとのことでした。

【 明主様 】ええ、それはいいですよ。

「『御光話録』一号,岡田茂吉全集講話篇第一巻p304」 昭和23年12月08日