今度、いままでの観音教団から別れて五六七教会というものができたんであるが、名称は異っても内容は同じものである。ただ観音様はだんだん進むに従って光明如来様になり、弥勒になられる。ミロクというと……。弥勒菩薩というのは釈迦の弟子にあった。ミロクという名となると、神様になる。日月地大御神……。そういう時期が来たんで、今度五六七会が誕生したわけである。いろいろ神秘があるが、だんだん分かるようにする考えである。弥勒は五六七、日月地、火水土――三位一体。いままでの宗教でも他のものでも、二つの働きだった。
火と水の力というのが光で、光とか、光明如来というのは光の力である。それへ土の力が加わらねば、本当に絶対力は出ない。例えば、いままで観音様をお願いして、御利益はあるが薄かった。痛い、苦しい、治してくださいと言うても、さて、すぐに治らぬ。それよりは、浄霊すればすぐ治る。それは土の力が加わる。土は人間の肉体力で、火は霊、水は体だが、液体で固体でない、漿液で、人間の体は七割が水としてある。後三割が固体の肉である。故に人間の身体は火水土でできている。死ねば霊は霊界へ、水分は急に蒸発するようなもので、水蒸気になって発散する。亡骸は土に還元する。故に肉体は土とみてよい。
火と水と肉体を通して初めて力が出るのであるから利益がある。故に五六七となると、あらゆるものに対する力が強くなる。それであらゆるものができる。
今日まで、善悪として、悪の力が勝っていた、ある期間勝っていた。そこで悪人や悪事が絶えない。いずれは知れるが、それまでの期間が長い。それで一代悪いことをし通してすんでる人もたまにはある。中には三〇年、五〇年経った後で分かる人もあって、悪いことと栄華をしている。そこで俺も悪いことをして出世しようと思う。それは邪神の霊が勝つから……
世界でも〇〇主義、何々主義というが、それによっても人類は幸福にならぬ。いっぽうが苦しみいっぽうが良くなる。そういう主義によって苦しんだ。悪がはびこって善いほう正直者が馬鹿をみるという言葉が出る。原因は悪の発見が遅いということである。悪の力が強く善の力が負けていた。簡単に言えばそういうわけになる。
五六七という力は、非常に正しい善の力が強くなる。ということは、悪の発覚が早くなる。早くなれば悪いことをする者がなくなる。今日悪をして明日見つかったんでは、悪いことはできない。悪の勢力をうつのが根本である。悪のはびこるのは悪の暴露が遅いことになる。いま、こういう教団があって、いい教えであると説くと、結構だと言いながらすぐに入ってこない。周囲の者などは、そんな馬鹿なことがあるかという。事実を見て感心してもそんな馬鹿なことはないという。その人に憑った霊が囁くための一時的の神経作用だと思う。であるから、判ってて判らぬ人がたくさんある。邪神界の霊がその人に憑ってる副霊に命令するようなものである。善いことが判っていて躊躇するんで障りがある。
こんないいことを一遍に入るのが本当だと思うことが先によくあったが、それではこちらの準備もできてないことと、いままでの霊界における火素の足らぬため、闇が多かったというため、障りがある。五六七の力は非常な力で、そういう邪魔など、ドンドン排除する働きが起る。そういう力でないと人類は幸福になれぬ。文化が進歩した進歩したと言いながら、世界中苦しみきっている。敗戦国日本の苦しみはありながらも、ヨーロッパに比べるとズッといいというのであるから、いかに人類は苦悩に喘いでいるかが判る。われわれの目的は一階級、一民族の救いではない。世界が苦しんでる、それをも救うべく、大いに五六七の力を発揮して、善い世界を造らなければならぬ。祝詞にも、「国と国との境無く」とあるのはその予言である。アメリカでは世界国家と言うが、その時期が近づいたのである。それは悪の発見が早くなることである。
どういう世界かと言うと、二〇〇〇年もかかって文化を築いたが、ともすれば悪が勝った。二〇〇〇年かかってこれだけ発展したが、今度は邪魔物がなくなる。いままでは戦争準備に国力の大半を使った。国家の半分以上は軍備をした。そういう無駄がなくなる。軍備に国力の大半を費やしたのを、善い物すべて平和的なことに使うこととなるから、非常に躍進が早い。
昼の世界になると、いままで一〇〇〇年かかったものが、一〇〇年でできる(今年、一〇〇年間の進歩の状態を書いた)。
政治、教育、経済など、あらゆるものが大いに変わる。(いままで、未来記などあるが、突拍子もないことが多いが、いまの文化を踏み台として、確実性ある予想と進歩を描いた理想世界がそれが)なぜ実現するかと言うと、悪が非常に少なくなる。昼間の世界になるから、悪の発覚が早くなる。霊界が明るくなり、秘密など少なくなるからである。それかあらぬか、非常に暗闇のことが暴露された。そして総理までも危ないほどだ。罪悪が減ると、裁判や警察署など少なくなる。法律が減る。いま、法律の殖えるのを自慢にしているが、今日の議会は立法府である。それが廃法府になる。法律は非常に減る。支那のある時代には法三章と言った。聖徳太子のころは十七条しかなかったが、それで秩序が保たれたので、それはあり得べからざることではなくできるわけである。まったくいまは暗のドン詰まりである。その時代になると、刑罰は監獄や懲役でなく、汽車や船などの火夫がそれになる。食糧は非常に増産となる。いまは八時間労働としているが、軍備のために四時間費やしている。
食糧も人間一人につき、年一石穫れるように造られている。穫れないのは間違ったことをしている。稲はできたときは、五粒から六粒しかできなかった。粒多く、分蘖が多くなればよい。しかし無肥料の稲は折れぬから、いくら粒がなっても大丈夫である。
三六九は、宇宙あらゆるものの原則である。
産業利潤も三分するから、税金をとる要はない。
五六七会の誕生は、こういう理想世界を造る第一歩であると思う。(速記)