昭和二十三年十月二十八日 御講話(3) 光録(補)

 〔 質問者 〕御浄霊により肉体的に救われても精神的に更生される方の少ないのはなぜでしょうか。

 精神的に更生できないというわけは?

 〔 質問者 〕例えばいつまでも夫婦喧嘩を続け、いっこう更生したように見えないことがありますが。

 ところがなかなかそう変わりませんよ。夫婦喧嘩しなくなるまで二、三十年はかかりますよ。急激にぼんぼん変わればたいしたものですよ。……それよりも人ではない自分です。自分がそう簡単に治るかどうかを考えたらよい。五年かそこらで自分の心を治せたらたいしたものですよ。それから時機ということもありますしね。順序や段階がある。以前私が大本教に入っていたころいい宗教だと思っていたが、ちょっとおもしろくないことがあり五年くらい止めたことがありました。ところがある人からもう一度研究してみるようにと言われたのでまたやり直したら、やや判り、それから熱心になった。結局は私は大本教とは別れたが、その間はずいぶん熱心にやりました。そのとき得るところが多く、いまでも感謝しています。こういうふうだからただ表面から見て、いいとか悪いとかは言えないんですよ。初め熱心でそれから不熱心になる人もあり、またその逆の人もある。働きのありそうな人でも結果の出ない人もあり、千差万別です。また時機によってその人の本当の働きになったりするのです。だから私はたいていのことはなにも言わずにやらせるとうまく行くのです。間違ったことをすればいずれ行き詰まり、自分でビックリして改心することもあります。人間は執着をとることも必要なんだからほおっておいたほうがよい。行き詰まるところまで行かせたほうがよい。坂を転がり落ちる石を途中で止めようとしても無理で、落ちる所まで落としてしまったらよい。そのときに話をしてやることが効果があるのですよ。

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、19481028、岡田茂吉全集講話篇第一巻p」 昭和23年10月28日