昭和二十三年十月二十八日 御講話(10) 光録(補)

 〔 質問者 〕兇党界は、神漏岐、神漏美命が現われ給うて善悪ができてからできたのでしょうか。また主神の御目から見た存在の意義はなんでしょうか。さらに「五六七の御代」になった場合には正神に服するのでしょうか。

 これは違うんですよ。神様を霊と体に分ければ、善悪によれば霊が善、体が悪、男女では霊が男、体が女です。女は体だから悪だなどと言えば女の人は怒りますよ。……主神の御目から見て兇党界が必要ないなら、主神の万能の力で潰してしまうのはわけないことです。神でも対照的で絶対善の神があるから、それに対して絶対悪がなければならないのです。それがなければ進化しないのです。必要悪ですね。以前よく訊かれたことだが「大審判で神が人間を苦しみに合わせるくらいなら最初から悪人を作らねばよいのに……」と言うのです。これは一応もっともですが私はこう言うのです。……私が作ったのなら私は理由を言うが、私も作られたものであり、神様がすべてを作ったのだから、こうだろうと考えるだけです。しかし悪因悪果、善因善果だから、いいことをして幸福になれば、それでいいではないか、と言うのです。兇党界だって神様の御都合で作られたのでしょう。「五六七の御代」には悪は限定されます。兇党界は獣の働きですから人間に獣の働きが少なくなり向上するのです。いまの人は法律という「オリ」の中に生きているのですから……

「『御光話録』(補)(年代不詳1951頃)、岡田茂吉全集講話篇第一巻p」 昭和23年10月28日